山形県立新庄南高等学校
山形県新庄市にある高等学校
山形県立新庄南高等学校(やまがたけんりつ しんじょうみなみこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Shinjō Minami High School)は山形県新庄市城南町にある県立の高等学校。略称は「新南」(しんなん)、「南高」(なんこう)。
山形県立新庄南高等学校 | |
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北緯38度45分51.2秒 東経140度17分32.9秒 / 北緯38.764222度 東経140.292472度座標: 北緯38度45分51.2秒 東経140度17分32.9秒 / 北緯38.764222度 東経140.292472度 | |
過去の名称 |
新庄町立実科高等女学校 山形県立新荘実科高等女学校 山形県立新荘高等女学校 山形県立新荘第二高等学校 山形県立新庄高等学校(南校舎) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
学区 | 北学区 |
校訓 | 清楚・誠実・進取 |
設立年月日 | 1914年(大正3年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 総合ビジネス科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D106220550021 |
高校コード | 06122A |
所在地 | 〒996-0077 |
山形県新庄市城南町5番5号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 1914年(大正3年)創立の「新庄町立実科高等女学校」を前身とする。数回の移管・改称を経て1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。新制高等学校になった当初は女子校であったが、1950年(昭和25年)に旧制中学校を前身とする高校(男子校)と統合され、「山形県立新庄高等学校」として男女共学を開始した。それから2年後の1952年(昭和27年)には統合を解消し、現校名の「山形県立新庄南高等学校」となった。男女共学となったものの、歴史的に高等女学校を前身とするために、男子の入学は少なかった[1]が、商業科に男子を受け入れたのに始まり、1995年(平成7年)には普通科にも男子が入学し、現在は共学が進んでいる。2014年(平成26年)に創立100周年を迎える。
- 校訓
- 「清楚・誠実・進取」- 1990年(平成2年)に制定。
沿革
編集- 高等女学校時代
- 1914年(大正3年)4月 - 「新庄町立実科高等女学校」が新庄尋常高等小学校に併置される。
- 修業年限を2年、学級数を2、生徒定員を100名とする。
- 1915年(大正4年)9月 - 新庄町小田島町字御鷹部屋に新校舎が完成。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 移管により「最上郡立実科高等女学校」と改称。
- 修業年限を4年、学級数を4、生徒定員を200名とする。
- 1920年(大正9年)4月 - 校舎の増築工事に着手。蚕業伝習所を教室に、2階建ての西校舎を体操場に改造。
- 1921年(大正10年)4月 - 移管により「山形県立新荘実科高等女学校」と改称。生徒定員を300名とする。
- 1922年(大正11年)4月 - 校舎新築工事に着手。2階建て本館、平屋建て理科室、体操場、講堂が完成。校舎の1棟を寄宿舎に改造。
- 1925年(大正14年)4月 - 「山形県立新荘高等女学校」に改称(「実科」が除かれる)。
- 修業年限は本科を4年、(本科修了後の)補習科を1年とする。また学級数を8、生徒定員を400名とする。
- 1931年(昭和6年)3月 - 校歌(旧校歌)を制定。
- 1940年(昭和15年)5月 - 紀元2,600年を記念し、部分林を設定。
- 1941年(昭和16年)5月 - 記念部分林第1回植林を実施。
- 1942年(昭和17年)5月 - 太平洋戦争による物資不足のため、学校製炭を実施。
- 1943年(昭和18年)4月 - 学級数を12、生徒定員を600名とする。高等女学校令が廃止され、中等学校令が施行される。
- 1944年(昭和19年)11月 - 学徒動員が開始。4年生が神奈川県大船の富士飛行機株式会社に通年動員となる。
- 1945年(昭和20年)
- 4月 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 1946年(昭和21年)
- 4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 12月末 - 校舎を増築。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 高等女学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:山形県立新荘高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年生はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により高等女学校は廃止され、新制高等学校「山形県立新荘第二高等学校」(女子校)が発足。
- 通常制普通課程(現・全日制課程普通科)を設置。入学資格を新制中学校を卒業した15歳以上、修業年限を3年とする。
- 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山形県立新荘第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 山形県立新荘第三高等学校を統合し、定時制普通課程を設置。また通常制(全日制)に普通課程・家庭課程・商業課程を設置。
- 10月 - PTAからの寄付により図書館と商業教室が完成。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 高校三原則に基づき、公立高校の再編が行われる。
- 山形県立新荘第一高等学校(男子校)と統合され、総合制「山形県立新庄高等学校」が発足。男女共学を開始。
- 普通・工業・農業・商業・家庭の5課程を有する総合制の高等学校となる。
- 旧第一高校の校舎を「北校舎」、旧第二高校の校舎を「南校舎」として両校舎の使用が継続された。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 統合の解消により、南校舎が「山形県立新庄南高等学校」(現校名)として独立。普通・家庭・商業の3課程を設置。
- 北校舎は山形県立新庄北高等学校となる。
- 1953年(昭和28年)11月 - 校歌(現校歌)を制定。
- 1954年(昭和29年)9月 - メイングラウンド(主運動場)を設置。
- 1955年(昭和30年)11月 - 運動場を拡張。
- 1957年(昭和32年)12月 - 体育館が完成。
- 1959年(昭和34年)10月 - 旧体育館を移転改装し図書館・美術室とする。商業実務室と準備室が完成。
- 1963年(昭和38年)
- 4月 - 通常制を全日制課程、普通課程を普通科、商業課程を商業科、家庭課程を家政科に改称。
- 10月 - 学校部分林の組合長名義を同窓会長に変更。
- 1964年(昭和39年)12月 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 1965年(昭和40年)3月 - 普通教室、家庭科特別教室を増築。
- 1967年(昭和42年)4月 - 学校住所の表記が小田島町9が「城南町5番5号」に変更となる。
- 1968年(昭和43年)4月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての校舎増築が完成。
- 1971年(昭和46年)3月 - 鉄筋コンクリート造2階建ての商業科校舎が完成。
- 1975年(昭和50年)7月 - 創立60周年を記念して同窓会館が完成。
- 1978年(昭和53年)3月 - 電算実習室が完成。
- 1979年(昭和54年)
- 2月 - 家政科と商業科において推薦入試を実施。
- 3月 - 寄宿舎「雪華寮」を閉寮し、セミナーハウス(研修施設)に用途を変更。
- 1980年(昭和55年)7月 - 講堂・第二棟木造部・第三棟を解体。4階建ての新第三棟が完成。
- 1981年(昭和56年)4月 - 第四棟(産業振興棟)が完成。環境整備により中庭が完成。
- 1983年(昭和58年)10月 - 創立70周年を記念して茶室と茶庭が完成。
- 1984年(昭和59年)3月 - グラウンドを拡張。
- 1986年(昭和61年)
- 7月 - 体育館と剣道場が完成。
- 12月 - グラウンド拡張部分の整備が完了。
- 1990年(平成2年)8月 - 校訓を制定。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)10月 - 創立80周年を記念して同窓会館の分館が完成。
- 1995年(平成7年)4月 - 普通科に男子が15名入学。
- 1998年(平成10年)2月 - 普通科においても推薦入試を実施。
- 2002年(平成14年)7月 - 山形県高速基幹ネットワークの稼動を開始。
- 2005年(平成17年)4月 - 家政科の募集を停止。学科改編により商業科を総合ビジネス科に改称。
- 2007年(平成19年)3月 - 家政科・商業科を閉科。
- 2008年(平成20年)11月 - 特別教室棟の耐震補強工事が完了。
- 2009年(平成21年)2月 - 同窓会館の耐震補強工事が完了。
- 2010年(平成22年)12月 - 第二棟の耐震補強工事を完了。
- 2011年(平成23年)3月 - 職員室と小会議室を移転。
- 2012年(平成24年)8月 - 旧校長公舎を解体。
- 2014年(平成26年)4月 - 金山高校が山形県立新庄南高等学校金山校となる。
- 2016年(平成28年)12月 - 同窓会からの寄贈により校門の門柱が整備し直される。また、同窓会館脇に駐車場を増設。
- 2024年(令和6年)4月 - 総合ビジネス科の募集停止。新たに新庄神室産業高校にビジネス創造科を設置。
- 2026年(令和8年)4月 - 新庄北高校と統合して、統合校が開校予定。[2]
部活動
編集- 運動部
- 文化部
著名な出身者
編集- 安彦麻理絵 - 漫画家
- 伊藤真喜子 - マラソン選手、1997年(平成9年)東京国際女子マラソン優勝
交通アクセス
編集- 最寄りの鉄道駅
脚注
編集- ^ 山形県の公立高校はどこも原則として男女共学であるが、高等女学校を前身とする高校には女子が多く進学し、男子の入学がきわめて少ないという傾向があった。また旧制中学校を前身とする高校には男子が多く進学し、女子の入学がきわめて少ないという傾向も同様にあった。
- ^ “新庄新高校(仮称)開校及び新庄神室産業高校商業科新設準備について”. 2024年6月8日閲覧。