山口信一
日本の陸軍軍人
山口 信一(やまぐち しんいち、1891年(明治24年)4月19日[1] - 1946年(昭和21年)7月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
山口 信一 | |
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生誕 |
1891年4月19日 日本 東京府 |
死没 | 1946年7月25日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1891年(明治24年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第35期卒業[1]。1937年(昭和12年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、陸軍予科士官学校附となる[2]。1938年(昭和13年)に北支那方面軍特務部員[2]、1939年(昭和14年)1月27日に歩兵第57連隊留守隊長を経て[2]、同年3月9日に歩兵第212連隊長に就任し日中戦争に出動[1]。山東省西部の警備に当たった[1]。
1940年(昭和15年)に陸軍兵器本部附を経て[2]、1941年(昭和16年)3月1日に陸軍少将に進級[2]。同年4月7日に第51師団隷下の第51歩兵団長[1]、同年11月8日に歩兵第39旅団長を歴任[1]。1942年(昭和17年)に留守第6師団兵務部長[1](西部軍[3])、1943年(昭和18年)6月10日に第46師団兵務部長[1]、同年10月1日に留守近衛第2師団兵務部長[1]、1944年(昭和19年)に東部軍兵務部長を歴任した[1]。1945年(昭和20年)4月30日に陸軍中将に進級[2]、6月1日に第354師団長に親補され[1]、千葉県館山近くの丸山で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。