陸軍兵器本部
概要
編集日中戦争に伴う補給と軍備充実のための兵器需要の増大が、兵器行政の効率化を促した。そのため、1940年(昭和15年)4月1日、陸軍兵器廠と陸軍造兵廠を統合し新組織の陸軍兵器廠とした[1]。新兵器廠を統括する陸軍兵器本部が設けられ、兵器補給廠(兵器支廠を改称)、造兵廠(工廠を改称)を下部組織とした。これにより兵器資材の製造、修理、調弁、貯蔵、補給を一元的に処理する体制を整えた。
戦局の悪化に伴い、さらに兵器行政の一元化が求められ、1942年(昭和17年)10月、陸軍兵器行政本部に統合され陸軍兵器本部は廃止された。
歴代本部長
編集所属組織
編集- 次長
- 小須田勝造 中将:1940年4月1日 - 1942年7月1日
- 企画部長
- 総務部長
- 作業部長
- 長谷川治良 少将:1940年4月1日 -
- 補給部長
- 吉田嘉猷 少将:1940年4月1日 -
- 技術部長
- 相馬癸八郎 少将:1940年4月1日 -
- 会計部長
- 前川敬悦 少将:1940年4月1日 -
- 幹部候補生隊
- 東京第一陸軍造兵廠
- 第1製造所
- 第2製造所
- 第3製造所
- 東京第1造兵廠研究所
- 東京第二陸軍造兵廠
- 板橋製造所
- 多摩製造所
- 宇治製造所
- 岩鼻製造所
- 忠海製造所
- 東京第2造兵廠研究所
- 相模陸軍造兵廠
- 第1製造所
- 名古屋陸軍造兵廠
- 鳥居松製造所
- 大阪陸軍造兵廠
- 第1製造所
- 第4製造所
- 播磨製造所
- 枚方製造所
- 小倉陸軍造兵廠
- 第1製造所
- 仁川陸軍造兵廠
- 南満陸軍造兵廠(奉天)
- 東京陸軍兵器補給廠
- 千葉陸軍兵器補給廠
- 名古屋陸軍兵器補給廠
- 大阪陸軍兵器補給廠
- 岡山陸軍兵器補給廠
- 広島陸軍兵器補給廠
- 小倉陸軍兵器補給廠
- 平壌陸軍兵器補給廠
- 南満陸軍兵器補給廠(奉天)
- 台湾陸軍兵器補給廠(台北)
脚注
編集- ^ 陸軍兵器廠令(昭和15年4月1日勅令第209号)。従前の陸軍兵器廠令(大正2年3月28日勅令第30号)を廃止し、従前の陸軍造兵廠令を全部改正し、陸軍兵器廠令に改題した。