山内豊定
山内 豊定(やまうち とよさだ)は、土佐土佐中村藩の(再興後の)第2代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永14年12月2日(1638年1月16日) |
死没 | 延宝5年10月13日(1677年11月8日) |
改名 | 虎之助(幼名)、豊定 |
別名 | 別名:光政、豊直 |
戒名 | 慈徳院殿前新衛英巌宗智大居士 |
墓所 |
東京都港区愛宕の青松寺 高知県四万十市の大用寺 |
官位 | 従五位下、右近大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 土佐土佐中村藩主 |
氏族 | 山内氏 |
父母 | 父:山内忠直、母:水野忠清の娘 |
兄弟 | 豊定、豊明 |
妻 | 正室:有馬忠頼の娘 |
子 |
直明、豊次、三男、娘(板倉重高正室)、娘 養子:豊明 |
生涯
編集寛永14年(1637年)12月2日、初代藩主・忠直の長男として生まれる。寛文7年(1667年)、父の死去により跡を継ぐ。延宝5年(1677年)10月13日に死去した。享年41。跡を弟で養子の豊明が継いだ。