尾崎紀男
日本の航空機技術者、自動車技術者、教育者
経歴
編集1906年(明治39年)大阪府に生まれる。1933年(昭和8年)大阪帝国大学造船学科を卒業後、海軍嘱託技師となる[1]。 二式複座水上偵察機を設計したエルンスト・ハインケルに学んだ尾崎は九九式艦上爆撃機を設計(詳細は愛知航空機の項を参照)。 終戦までに艦上攻撃機である流星[2]、水上偵察機である瑞雲、水上攻撃機である晴嵐などの設計にも携わった。
第二次世界大戦後、日本は航空機の製造、開発が禁じられたため、愛知航空機は民需転換を行い愛知機械工業に業種変更。尾崎は会社にとどまり自動車製造に関わった。愛知機械工業の取締役を務めた後、静岡コニーの代表に就任。後に大同工業大学教授を務めた。