尾上菊五郎 (4代目)
江戸時代後期の歌舞伎役者
四代目 尾上菊五郎(よだいめ おのえ きくごろう、文化5年〈1808年〉 - 万延元年6月28日〈1860年8月14日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者。屋号は音羽屋、俳名は梅幸・菊枝・梅婦。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。通称「梅幸菊五郎」。
よだいめ おのえ きくごろう 四代目 尾上菊五郎 | |
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屋号 | 音羽屋 |
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定紋 | 重ね扇に抱き柏 |
生年月日 | 1808年 |
没年月日 | 1860年8月14日 |
襲名歴 | 1. 中村辰蔵 2. 中村歌蝶 3. 尾上菊枝 4. 三代目尾上榮三郎 5. 四代目尾上梅幸 6. 四代目尾上菊五郎 |
俳名 | 梅幸・菊枝・梅婦 |
出身地 | 大坂 |
妻 | お蝶(三代目菊五郎の娘) |
子 | 初代實川延若(養子) |
来歴
編集大坂の生れで初代中村歌六に入門し中村辰蔵、のちに中村歌蝶と名乗る。京坂の宮地芝居で修業したが天保2年(1831年)正月、三代目尾上菊五郎の娘婿となり、同年3月に尾上菊枝と改名し大坂角の芝居に出た。その後、菊五郎とともに江戸へ下り、同年8月に三代目尾上栄三郎と改名し江戸市村座の舞台に立つ。弘化3年(1846年)、菊五郎の俳名である梅幸を襲名。この頃から名声を上げ、安政2年(1855年)9月に四代目尾上菊五郎を襲名した。享年53。
当り役は『与話情浮名横櫛』のお富など。おっとりとした気品のある風貌で、年増役、時代物を得意としたが、悪婆の役をやらせると落ち着きすぎ、科白廻しもべたつくようだといわれて不評だったという。死去の際はその妻のお蝶も同日に死去した。養子に初代實川延若がいる。
参考文献
編集- 伊原敏郎 『近世日本演劇史』 早稲田大学出版部、1913年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり。615頁、320コマ目。
- 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年