尖閣神社
尖閣神社(せんかくじんじゃ)は、沖縄県石垣市桴海にある神社である。2000年に尖閣諸島の魚釣島に創建され、2019年に現在地に遷座した。
尖閣神社 | |
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所在地 | 沖縄県石垣市桴海大田273-170[1] |
位置 |
遷座前:北緯25度44分33秒 東経123度28分17秒 / 北緯25.74250度 東経123.47139度 遷座後:北緯24度28分13秒 東経124度13分32秒 / 北緯24.47028度 東経124.22556度 |
主祭神 |
天照大御神 日本武命 |
創建 | 平成12年(2000年) |
地図 |
沿革
編集尖閣諸島の鎮護と東シナ海を航行するすべての船舶の安全を願い、2000年4月20日に魚釣島(沖縄県石垣市字登野城(2020年に分離し登野城尖閣)2392番地)に創建された[1][2]。尖閣神社創建の事業は日本青年社の主導で行なわれ、木造の祠が建設された。創建に際しての神事は、戦後では初めて魚釣島に神職が上陸して斎行された。毎年、日本青年社が島内の2箇所に建設した灯台の点検整備のため魚釣島を訪れる際、例祭ならびに船舶航行安全祈願祭が行なわれている。[要出典]2基の灯台のうち、魚釣島灯台は日本青年社が所有権を放棄して政府に寄贈したため、現在では海上保安庁が管理する国有財産として登記され、海図にも記載されている。
2004年3月24日、中国人活動家7人が日本の領海を侵犯し魚釣島に不法上陸[3]。沖縄県警察の取り調べや実況見分により、祠に壊された形跡があることが明らかになった[4]。日本青年社は、祠等の現状調査のため魚釣島上陸を目指したが、海上保安庁により石垣港からの出港を差し止められた[5]。この事件を日本青年社は沖縄県警察に訴え、被害届が受理された。日本青年社は、被害届が受理されたことは、尖閣諸島に日本の主権が及んでいる証拠と主張している[6]。[要出典]後日、尖閣諸島に上陸した日本青年社により祠が再建され、「尖閣神社」と揮毫された石板が設置された。祠と石板は、頑丈な花崗岩で造られている。[要出典]
2008年に祠が破壊され、それ以降は社がない状態であったが[要出典]、2019年に石垣島北西部の沖縄県石垣市桴海に移設・再建され、2月17日に奉祝祭が執り行われた。新しい神社は、正面から見て本殿の約160km先に魚釣島を望む位置関係にある。また、奥宮には修復された祠が納められている[1]。
交通
編集- 沖縄県道79号石垣港伊原間線で石垣港方面から、吹通川のヒルギ群落・石川農園手前の案内板を右折[7]。
脚注
編集- ^ a b c d “尖閣神社が移設・再建 遷座、竣工を関係者祝う 石垣市”. 八重山日報. (2019年2月18日)
- ^ “尖閣諸島実効支配”. 日本青年社 (2003年6月17日). 2019年2月18日閲覧。
- ^ “尖閣諸島・魚釣島に中国人7人が上陸、沖縄県警が逮捕”. 朝日新聞. (2004年3月25日). オリジナルの2004年4月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “尖閣上陸の7人を送検へ 「尖閣は中国領土」と容疑否認”. 朝日新聞. (2004年3月25日). オリジナルの2004年4月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “尖閣目指した右翼団体、石垣島出航差し止め 海保が措置”. 朝日新聞. (2004年3月25日). オリジナルの2020年1月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “中国人は魚釣島に不法上陸して、神社まで破壊していた! 日本青年社・滑川裕二顧問の所懐”. サイゾー (2011年1月18日). 2011年4月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “尖閣神社の案内板設置 グーグルでも検索可能に”. 八重山日報. (2019年4月7日)