小野貞樹
平安時代前期の廷臣。小野石見王の子とされる。官位は従五位上・大宰大弐、肥後守。勅撰集『古今和歌集』に2首入集
小野 貞樹(おの の さだき)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。官位は従五位上・肥後守。
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・肥後守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 小野氏 |
父母 | 父:石見王? |
兄弟 | 高階峯緒?、貞樹 |
妻 | 小野小町?[1] |
出自
編集一説では長屋王の玄孫に当たる石見王の子とされ[2]、石見王の従五位下への叙爵時期(天長元年〔824年〕)[3]を勘案しても年代的に矛盾はない。しかし、石見王の子と仮定しても、長屋王の後裔はほとんどが高階真人姓を称している中で[4]、貞樹のみ小野朝臣姓を称した理由の説明は付かず、出自ははっきりしない。
経歴
編集嘉祥2年(849年)皇太子・道康親王の春宮少進に任ぜられる。翌嘉祥3年(850年)の道康親王の即位(文徳天皇)に伴って従五位下に叙爵し、同年刑部少輔に任ぜられる。
嘉祥4年(851年)甲斐守に転じると、その後天安元年(857年)大宰少弐、貞観2年(860年)肥後守と、専ら地方官を歴任した。この間の斉衡2年(855年)に従五位上に昇叙されている。
勅撰歌人として、『古今和歌集』に2首の和歌作品が採録されている[2]。このうち1首は小野小町とやりとりした贈答歌であり[5]、貞樹を小野小町の夫と想定する意見もある[1]。
官歴
編集注記のないものは『六国史』による。
脚注
編集参考文献
編集- 熊谷直春「小野小町の真実」『国文学研究』47号、早稲田大学国文学会、1972年