小槻通時
小槻 通時(おづき の みちとき、生年不詳 - 建保2年〈1214年〉)は、鎌倉時代の廷臣。左大史・小槻国宗の子。官位は従五位上・右大史。
経歴
編集後鳥羽院政期前期の建仁2年(1202年)右少史に任ぜられると、翌建仁3年(1203年)までに右大史まで昇任し修理右宮城使や大学助も兼ねるなど、大夫史であった父・小槻国宗のもとで官史としてのキャリアを重ねる。まもなく、従五位下に叙爵して官史を離れたと見られ、元久元年(1204年)従五位上に昇叙された。
その後、関白・近衛家実の下家司を務めたが[1]、建保2年(1214年)卒去。父の国宗に先立って没したため、貞応2年(1223年)国宗が没すると大夫史の地位は大宮流の小槻季継が継いだ。
官歴
編集系譜
編集『系図纂要』による。