小川城 (西米良村)
宮崎県児湯郡西米良村の城。
小川城(おがわじょう)は、宮崎県児湯郡西米良村(明治以前は肥後国球磨郡)小川字囲にあった江戸時代の日本の城(居館)。肥後菊池氏の末裔を名乗る米良荘領主・米良氏の居城[1]。
小川城 (宮崎県) | |
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別名 | 日向小川城、米良氏屋敷 |
城郭構造 | 居館 |
天守構造 | なし |
築城主 | 米良則重 |
築城年 | 承応年間(1652年~1655年) |
主な城主 | 米良氏 |
廃城年 | 明治維新頃 |
遺構 | 曲輪、石垣、隠居所 |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | 石碑、隠居所跡に城郭風の「小川民俗資料館」あり |
位置 | 北緯32度14分03.1秒 東経131度12分55.6秒 / 北緯32.234194度 東経131.215444度座標: 北緯32度14分03.1秒 東経131度12分55.6秒 / 北緯32.234194度 東経131.215444度 |
地図 |
概要
編集一ツ瀬川の支流・小川川左岸の山際にある。江戸時代中期の承応年間(1652年~1655年)に米良則重が築城し、幕末の米良則忠の代まで約200年に渡って米良氏の居城となった。城の北西には引退した城主が居住する「隠居所」が造られ、石垣が残っている[1]。城跡は、県内でも古い時期に造られた小川小学校・中学校の敷地となっていたが、1989年(平成元年)に廃校となり[1]、石碑のみが残る。
1990年(平成2年)に北西の隠居所跡が「小川城址公園」として整備され、城郭風建築の「小川民俗資料館(おがわ作小屋村)」などが建てられている[1]。
脚注
編集- ^ a b c d 寺原重次 2003 pp.179-180 宮崎県公式HP
参考文献
編集- 寺原重次 2003 「資料館と語り部の庄(西米良村)」『平成みやざき風土記101』pp.179-180 宮崎県文化振興課
関連項目
編集外部リンク
編集- 「おがわ作小屋村」公式HP