小川原脩
経歴
編集旧制中学(現・北海道倶知安高等学校)で油彩を始める。東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。在学中に「納屋」(1933年)が帝展に入選。卒業後、福沢一郎らと出会い前衛的な美術団体「エコール・ド・東京」「創紀美術協会」「美術文化協会」などの結成に参加。シュルレアリスム絵画への道を歩んだが、軍の規制が厳しくなり断念。その後、軍の命令により戦争記録画を制作。戦後は郷里・倶知安に戻り、岩船修三、木田金次郎らと「全道美術協会(全道展)」の創立に参加。1958年、野本醇、因藤壽、穂井田日出麿らと「麓彩会」を創立。1975年、北海道文化賞受賞。1994年、北海道開発功労賞受賞。この年、小川原脩画集(共同文化社)を出版。戦後、倶知安町に定住してから半世紀以上、新たな造形の可能性を求め続けたが、とりわけ70歳を目前にして訪れた中国、チベット、インドでの体験を契機として創作の新境地を拓いている。
年譜
編集- 1911年(明治44年) 1月21日、虻田郡倶知安村(現在の倶知安町)に、父小川原政信、母光子の5人兄弟の長男として生まれる。父は、戦後衆議院議員となる。
- 1924年(大正13年) 倶知安中学校(現・倶知安高等学校)2年の時、自宅謹慎の処分中に友人から道具一式を送られ油絵を描き始める。
- 1925年(大正15年) 絵画教師白井幸三郎の指導の下、西村計雄たちとともに絵画グループ「緑会」を結成する。
- 1927年(昭和2年) 札幌中島公園農業館で開催された「日仏現代美術展札幌巡回展」を見る。
- 1929年(昭和4年) 札幌中島公園農業館で開催された「第4回1930年協会洋画展」を見る。東京美術学校(現・東京藝術大学)を受験するも不合格。秋に上京、川端画学校で学ぶ。
- 1930年(昭和5年) 東京美術学校西洋画科に入学、長原孝太郎の指導を受ける。倶知安町で個展開催。
- 1932年(昭和7年) 和田英作、次いで南薫造の教えを受ける。同級生と作った絵画グループ「丹包社」を結成。東京府美術館で開催された「巴里・東京振興美術同盟展」を見る。
- 1933年(昭和8)年 東光会第1回展入選。第9回道展でフローレンス賞受賞。第14回帝展に『納屋』入選。
- 1934年(昭和9年) 東光会第2回展でK氏奨励賞を受賞。道展の会友となる。
- 1935年(昭和10年) 東京美術学校を卒業。中央美術賞受賞。
- 1936年(昭和11年) 福沢一郎のアトリエを訪ね、結成間もない「エコール・ド・東京」への参加を勧められる。また福沢を通じて、麻生三郎、寺田政明、吉井正らと知り合う。さらに、瀧口修造らの「アヴァン・ギャルド芸術家クラブ」の結成にも参加。参加者たちが集まる喫茶店「武蔵野茶房」にも出入りするようになる。
- 1937年(昭和12年) 「エコール・ド・東京」展の会場で瀧口修造と知り合いとなる。独立展入選。長谷川三郎のアトリエを訪ねる。個展(銀座・資生堂ギャラリー)開催。
- 1938年(昭和13年) 「創記美術協会」の結成に参加。個展(札幌・三越ホール)開催。
- 1939年(昭和14年)「美術文化協会」および「新浪漫派協会」の結成に参加。個展(銀座・資生堂ギャラリー)開催。
- 1940年(昭和15年) 応召、旭川で教練を受けた後、帰京。「紀元二千六百年奉祝美術文化秋季展」に3点出品。
- 1941年(昭和16年) 召集令状を受け、警察署に拘留中の福沢一郎と面会。旭川第7師団に入隊後、中国東北地方(旧満州)へ出征。
- 1942年(昭和17年) 右肺せんカタルと診断され、旭川の陸軍病院へ転送、間もなく召集解除される。
- 1943年(昭和18年) 「決戦美術展」で陸軍大臣賞受賞。枡潟ユキと結婚。
- 1944年(昭和19年) 「陸軍美術展」に出品。大東亜戦争陸軍作戦記録画「成都爆撃」の制作委嘱を受け、武漢、岳陽、長沙、衝陽を取材する。
- 1945年(昭和20年) 東京大空襲の後、家族を倶知安に疎開させる。「戦争記録画展」に出品。倶知安に疎開して間もなく、終戦を迎える。間宮勇、木田金次郎らと「後志美術協会」を結成(後に因藤壽も参加)。岩船修三に誘われ「全道美術協会(全道展)」の創立に参加。
- 1947年(昭和22年) 美術文化協会を脱退。
- 1949年(昭和24年) 北海道学芸大学にて非常勤講師を務める(後には、同札幌分校、同岩見沢分校、藤女子大学などでも同様)。
- 1953年(昭和28年) 個展(銀座・資生堂ギャラリー、札幌・大丸ギャラリー)開催。
- 1954年(昭和29年) 北海道在住の東京美術学校卒業生および関係者により結成された「北美会」に参加。個展(小樽・丸井)開催。
- 1958年(昭和33年) 「北海道博美術館」(札幌「豊平館」)に出品。
- 1959年(昭和34年) 倶知安ゆかりの美術家によるグループ「麓彩会」結成。
- 1963年(昭和38年) 北海道大学工学部建築工学科の非常勤講師を務める(~81年)。
- 1965年(昭和40年) 個展(岩内町公民館、北海道拓殖銀行倶知安支店)開催。
- 1967年(昭和42年) 個展(資生堂ギャラリー)開催。
- 1968年(昭和43年) 個展(札幌大丸第2ギャラリー)開催。
- 1971年(昭和46年) V自選展「画業40年の曲折の中から」(札幌「今井」および「札幌時計台文化会館」の2会場)で計147点を出品。
- 1972年(昭和47年) 個展(日本橋・柳屋画廊、札幌時計台文化会館)開催。
- 1973年(昭和48年) 個展「動物素描展」(札幌時計台文化会館)開催。
- 1974年(昭和49年) 個展(銀座・文藝春秋画廊、札幌時計台文化会館)開催。「昭和の洋画-戦前の動向」展(京都市美術館)に2点出品される。「第1回札幌時計台文化会館美術大賞招待展」に出品かつ選考委員。倶知安町文化福祉センター落成を記念し、回顧展「画業45年〈1930→1974〉のなかから」を開催。油彩120点ほかを出品。
- 1975年(昭和50年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。北海道文化賞受賞。「第2回札幌時計台文化会館美術大賞招待展」出品かつ招待者選考委員および大賞選考委員。
- 1976年(昭和51年) 個展(銀座・文藝春秋画廊、札幌時計台文化会館)開催。「第3回札幌時計台文化会館美術大賞招待展」に出品。
- 1977年(昭和52年) 「現代美術のパイオニア展」(東京セントラル美術館)に出品される。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1978年(昭和53年) 「第1回北海道美術展」(北海道立近代美術館)へ特別出品および作品選定委員。個展(銀座・文藝春秋画廊、札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1979年(昭和54年) 2週間にわたり、中国南部の桂林へ取材旅行。「第2回北海道美術展」(道立近代美術館)へ特別出品および作品選定委員。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1980年(昭和55年) 中国南部の桂林および広州を取材旅行。個展(銀座・文藝春秋ギャラリー、札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
- 1981年(昭和56年) 倶知安町開基90周年記念として「小川原脩展」開催される。2週間にわたり、チベットへ取材旅行。個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
- 1982年(昭和57年) 2週間にわたり、チベットへ取材旅行。個展(銀座・文藝春秋ギャラリー、札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
- 1983年(昭和58年) 「北海道の美術」展(カナダ・アルバータ州巡回。主催:道立近代美術館ほか)に出品される。2週間にわたり、インドのラダック地方へ取材旅行。個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
- 1984年(昭和59年) 個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町・北海堂ギャラリー)開催。
- 1985年(昭和60年) 「東京モンパルナスとシュールレアリスム展」(板橋区立美術館))に『ヴィナス』『カーネーション』『男と白鳥』の3点出品される。個展(銀座・文藝春秋ギャラリー、札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1986年(昭和61年) 2週間にわたり、インドのアジャンダ石窟寺院へ取材旅行。個展(札幌時計台ギャラリー、函館・ギャラリー照光館)開催。
- 1987年(昭和62年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1988年(昭和63年) 個展「小川原脩展 対話・沈黙-遥かなるイマージュ」(北海道立近代美術館、東京セントラル美術館)が開催される。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1989年(平成元年) 北海道新聞文化賞および文部大臣褒章受賞。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1990年(平成2年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。「日本のシュールレアリスム展」(名古屋市美術館)に『ヴィナス』を出品。
- 1991年(平成3年) 個展(倶知安町文化福祉センター、札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1992年(平成4年) 個展(東京セントラル絵画館、倶知安町文化福祉センター、札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1993年(平成5年) 個展(倶知安町文化福祉センター)開催。
- 1994年(平成6年) 北海道開発功労賞受賞。「小川原脩画集」出版。個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1995年(平成7年) 個展(札幌時計台ギャラリー、倶知安町総合体育館)開催。
- 1996年(平成8年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1997年(平成9年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1998年(平成10年) 個展(札幌時計台ギャラリー)開催。
- 1999年(平成11年) 小川原脩記念美術館落成。
- 2002年(平成14年) 8月29日、多臓器不全のため死去。
参考文献
編集- 新明英仁『小川原脩―遙かなるイマージュ』北海道新聞社、1995年。ISBN 4-89363-214-0。
- 『小川原脩画集』共同文化社、1999年。ISBN 4-905664-87-X。