因藤壽
1925-2009, 現代美術家。
経歴
編集1942年、北海道庁立苫小牧工業学校本科電気科(現在の北海道苫小牧工業高等学校)を卒業。卒業後、北海道大学超短波研究所に勤務。
1947年頃より仕事の傍ら、クレヨン画を始める。 その後、喜茂別や倶知安の中学校の教員に転身[1]。道内の美術展に積極的に出品する。 1950年第2回読売アンデパンダン展に出品。以後も継続して出品。
1963年、大宮市(現さいたま市)に移り[2][1]、首都圏の画廊で個展を開催。その後も精力的に制作活動に取り組んだ。
2009年8月8日、他界。