小堀政利
江戸時代前期の旗本
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小堀 政利(こぼり まさとし)は、江戸時代前期の旗本。禄高は3000石[2]。茶道小堀遠州流第5世で、号は「宗功」[1]。幼名は三郎右衛門[1]。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永6年(1629年) |
死没 | 元禄7年6月29日(1694年8月19日)[1] |
別名 | 七兵衛、三郎右衛門、宗功(号) |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
氏族 | 小堀氏 |
父母 |
父:小堀正十、母:竹中重門の娘 養父:小堀政孝 |
兄弟 | 政孝、政利、政直、柳沢政俊妻 |
妻 | 石丸定次の娘 |
子 | 政郷、池田政応妻 |
小堀正十の次男。小堀政孝の養子となり[1]、延宝元年(1673年)11月21日に家督を継いで小普請となる[2]。延宝4年(1676年)4月26日に小姓組に列し、貞享元年(1684年)3月に職を辞する[2]。