小佐手 信房(おさて のぶふさ)は、戦国時代末期から江戸時代初期の武将。はじめ甲斐武田氏、のち徳川家家臣。
時代 | 戦国時代末期-江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄8年(1565年) |
死没 | 寛永5年1月23日(1628年2月27日) |
別名 | 新八郎[1] |
戒名 | 日隆[1] |
墓所 | 牛込清隆寺[1] |
主君 | 武田勝頼→徳川家康 |
氏族 | 小佐手氏 |
父母 | 父:小佐手信広[1] |
妻 | 青沼昌平娘[1] |
子 | 信吉、信家、信次[1] |
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はじめ武田勝頼に仕えるが、武田家没落後浪人となる[1]。天正18年(1590年)に徳川家康に拝謁し、蔵米200俵を賜う[1]。
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