尊統法親王
江戸時代の法親王
尊統法親王(そんとうほうしんのう、元禄9年5月9日(1696年6月8日) - 正徳元年5月18日(1711年7月3日))は、江戸時代の法親王。知恩院 宮門跡第3代。岡宮と称す。有栖川宮幸仁親王の皇子。養父は霊元天皇、准母は新大納言局(藤谷為条の娘)。
元禄11年(1698年)8月3歳で知恩院に入室。宝永3年(1706年)10月3日徳川綱吉の猶子となる。宝永4年(1707年)3月29日親王宣下。御名良邦を賜る。同年6月13日知恩院第43世応譽円理のもとで入室得度。宝永6年(1709年)二品に叙せられ、宝永8年(1711年)1月22日には法然上人500回大遠忌勅会の導師を務める。
文化8年(1811年)5月16日100回忌にあたり一品を贈られた。寿経光院宮源蓮社高譽等阿愍生尊統大和尚と号す。
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