富山北口駅
かつて日本の富山県富山市にあった富山地方鉄道の鉄道駅
富山北口駅(とやまきたぐちえき)は、富山県富山市畑中にあった富山地方鉄道射水線の駅(廃駅)である。射水線の廃線に伴い1980年(昭和55年)4月1日に廃駅となった。
富山北口駅 | |
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とやまきたぐち Toyamakitaguchi | |
◄新富山 (1.0 km) (1.7 km) 八ヶ山► | |
所在地 | 富山県富山市畑中 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | 射水線 |
キロ程 | 1.0 km(新富山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1924年(大正13年)10月12日 |
廃止年月日 | 1980年(昭和55年)4月1日 |
備考 | 射水線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1924年(大正13年)10月12日:越中電気軌道当駅 - 四方駅間開通に伴い開業[1][2]。駅舎内には越中電気軌道の本社も併設されていた[3]。
- 1926年(大正15年)7月21日:聯隊橋駅(後の新富山駅) - 当駅間延伸開通に伴い中間駅となる[1][2]。
- 1927年(昭和2年)2月13日:鉄道会社名を越中鉄道に改称。それに伴い同鉄道の駅となる[2]。
- 1943年(昭和18年)1月1日:交通統合に伴い富山地方鉄道射水線の駅となる[1][2]。
- 1945年(昭和20年)8月2日:富山大空襲により駅舎全焼[3]。
- 1947年(昭和22年)4月30日:木造駅舎竣工[3][4]。
- 1969年(昭和44年)4月15日:交換設備撤去[5][6]。
- 時期不詳:業務委託化[7]。
- 1980年(昭和55年)4月1日:射水線の廃線に伴い廃止となる[1][2]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[7]。ホームは線路の西側(新港東口方面に向かって左手側)に存在した[7]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[7]。駅舎側ホーム(西側)が下り線、対向側ホーム(東側)が上り線となっていた。使われなくなった対向ホーム側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去されたが、ホームは残存していた[7]。
業務委託駅となっていた[7]。駅舎は構内の南西側に位置しホーム南側に接していた[7]。周囲より若干高台にあり、駅舎入口へは階段を上る必要があった[8]。入口はホームに対し90度の角度で駅舎の南側に設置されていた[8]。ホームに待合所代わりの上屋を有した[7]。
駅周辺
編集附近に学校があり、通学客が多く利用した[7]。
- 富山県道7号富山八尾線
- 富山県道208号小竹諏訪川原線
- 神通大橋[8]
- 富山桜谷郵便局
- 神通川
駅跡
編集廃線後は代行バスの停留所となった[3]。1997年(平成9年)時点では、附近の線路跡は富山地鉄バス専用道路となっており、上下線の2つのホームが、ともに道路脇に雑草が生い茂った、朽ち果てた姿で残存していた[9]。その後当駅跡附近の地鉄バス専用道路は廃止され、2006年(平成18年)5月時点では駅跡は駐車場となっており[8]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[10]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年10月発行)34ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)211-212ページより。
- ^ a b c d 『保存版 ふるさと富山市』(2009年7月18日、郷土出版社発行)152ページ。
- ^ 富山地方鉄道株式会社編、『富山地方鉄道五十年史』(882及び884頁)、1983年(昭和58年)3月、富山地方鉄道
- ^ 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング、2008年7月発行)35,45ページより。
- ^ 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年12月発行)49-52ページより。
- ^ a b c d e f g h i 『RM LIBRARY 107』36,41ページより。
- ^ a b c d 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房、2008年7月発行)62ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング、1997年5月発行)108ページより。
- ^ 『新 鉄道廃線跡を歩く3』48-49ページより。