宮脇倫
宮脇 倫(みやわき りん[1] / ひとし[2]、1904年(明治37年)3月5日[2] - 1963年(昭和38年)3月28日[1])は、日本の内務・警察官僚。最後の官選埼玉県知事。長男は元皇宮警察本部長・元内閣広報官の宮脇磊介。孫は日本フェンシング協会元専務理事の宮脇信介。曽孫はフェンシング(フルーレ)選手の宮脇花綸。
経歴
編集長野県下伊那郡上郷村(現飯田市)に宮脇金一郎の二男として生まれる[2]。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、警視庁に配属された[3]。
以後、神田万世橋警察署長、三田警察署長、久松警察署長、警視庁特別警備隊長、新潟県商工水産課長、兵庫県警察部経済保安課長、石川県学務部長、秋田県内務部長、兼秋田県警察部長、茨城県内務部長、厚生省国民保険課長、同錬成体練課長などを歴任[2]。
1947年3月、前任の西村実造が知事選に出馬のため辞任したことに伴い埼玉県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月に知事を退任[2]。公職追放となる[3]。
その後、帝都高速度交通営団理事に就任。その他、埼玉県監査委員、埼玉県建築審査会委員、全日本不動産協会理事、人口と産業問題振興会理事などを務めた[2]。
家族
編集略系図
編集脚注
編集- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1216頁。
- ^ a b c d e f 『新編日本の歴代知事』325頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』263頁。
- ^ “長野師範学校卒業生名簿”. dl.ndl.go.jp. 信州大学教育学部本校. p. 7 (1950年). 2024年10月17日閲覧。
- ^ 太田浅太郎『松尾村小史: 長野県下伊那郡』松尾村青年会、1928年 。
- ^ 松尾学校沿革史編集委員会: “松尾学校沿革史”. dl.ndl.go.jp. 松尾小学校開校百周年記念行事実行委員会. p. 211. 2024年10月17日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月4日閲覧。
- ^ a b “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “岩崎長思 - 近代文献人名辞典(β)”. lit.kosho.or.jp. 2024年8月4日閲覧。
- ^ “学校沿革 | 長野県須坂高等学校同窓会「龍胆会」” (2019年12月10日). 2024年8月4日閲覧。
- ^ “創立100周年 | 長野県岩村田高等学校同窓会”. 2024年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月4日閲覧。
- ^ “松田一敏氏が死去 元日本鋼管(現JFEスチール)専務”. 日本経済新聞 (2015年5月22日). 2024年8月4日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月4日閲覧。
- ^ “中村氏(庄屋) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~ - Reichsarchiv ~世界帝王事典~”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~ (2015年11月7日). 2024年8月4日閲覧。
- ^ 閨閥学 (2018年7月12日). “中村家(中村雄次郎の家系図・子孫)”. 閨閥学. 2024年8月4日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信録 編『人事興信録 第21版 下』人事興信所、1961年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第34版 下』人事興信所、1987年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。