宮村俊雄
大日本帝国陸軍軍人
宮村 俊雄(みやむら としお、1881年(明治14年)4月15日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
宮村 俊雄 | |
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生誕 |
1881年4月15日 日本 大分県 |
死没 | 不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902年 - 1934年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集大分県出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[2][3]。
1928年(昭和3年)3月に陸軍歩兵大佐・佐倉連隊区司令官、1931年(昭和6年)1月に千葉連隊区司令官を経て、同年3月に歩兵第59連隊長(第14師団、歩兵第27旅団)に任官[1][2]。第一次上海事変に出動した直後に停戦となり、満州へ転用された[1][3]。
その後、1932年(昭和7年)8月に陸軍少将・歩兵第22旅団長を経て、1934年(昭和9年)8月1日に待命、同月30日に予備役に編入した[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。