宮本照明
日本の陸軍軍人
宮本 照明(みやもと てるあき、1854年9月24日(安政元年8月3日[1][2][注 1]) - 1917年(大正6年)9月7日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級、功三級[4]。
経歴
編集常陸国、のちの茨城県新治郡九重村(桜村を経て現つくば市)出身[2]。士族・櫻井牧蔵の長男として生まれ、1878年(明治11年)9月、宮本玄孝の養子となり、1885年(明治18年)4月、家督を相続する[2]。1875年(明治8年)陸軍士官学校に入学し(旧2期[3][4])[1]、1879年(明治12年)2月、陸軍砲兵少尉に任官する[2][5]。以来累進し1897年(明治30年)中佐に進み[1]、1900年(明治33年)5月、侍従武官となる[4]。この間、東宮武官、台湾総督参謀、台湾守備混成第2旅団参謀長、野戦砲兵第16連隊長を歴任した[1]。また、日清戦争の際には大本営附として広島へ出張した[1]。
1901年(明治34年)11月、大佐に進み、日露戦争終戦間際の1905年(明治38年)4月に野戦砲兵第2連隊長となった[4]。ついで1906年(明治39年)8月、陸軍少将に進級と同時に野戦砲兵第1旅団長に補され、翌年2月、台湾総督府陸軍参謀長に任じた[4]。その後、1912年(大正元年)8月、陸軍中将に進級と同時に後備役編入となった[3][4]。
栄典
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『日本陸軍将官辞典』708頁では安政3年8月生。
出典
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。