宮崎県工業専門学校 (旧制)
(宮崎県高等工業学校から転送)
宮崎県工業専門学校 (宮崎工専) | |
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創立 | 1944年 |
所在地 | 宮崎市 |
初代校長 | 奥村省三 |
廃止 | 1951年 |
後身校 | 宮崎大学 |
同窓会 | 宮崎大学 工学部同窓会 |
宮崎県工業専門学校 (みやざきけんこうぎょうせんもんがっこう) は、1944年 (昭和19年) に宮崎県によって設立された公立の旧制専門学校。創立時の名称は 「宮崎県高等工業学校」。
概要
編集沿革
編集- 1944年2月26日: 専門学校令により宮崎県高等工業学校設置認可。
- 1944年5月5日: 宮崎県高等工業学校、開校。
- 本科 (修業年限3年) に機械科・化学工業科・航空機科を設置。
- 1944年8月29日: 宮崎県工業専門学校と改称。
- 1945年5月11日: 空襲で被害。
- 1946年2月1日: 敗戦後の航空産業解体に伴い、航空機科を土木科に改組。
- 1947年6月5日: 宮崎県会、新制工業大学設置意見書を可決、文部省に陳情へ。
- 1948年3月19日: 宮崎県副知事のもとに県内4高専校長ら参集、連合大学設置で一致。
- 1948年4月28日: 宮崎大学期成同盟会発足。
- 1948年7月30日: 宮崎大学設置申請書を文部省に提出。
- 1949年4月18日: 宮崎県知事・文部大臣、「宮崎県工業専門学校国立大学併合に関する書簡」 を交換。
- 宮崎工専の国への移管決定。
- 1949年5月31日: 法律第150号国立学校設置法により新制宮崎大学設置。
- 旧制宮崎工専は、工学部 (機械工学科・工業化学科・土木工学科) の母体として包括された。
- 1951年3月31日: 旧制宮崎県工業専門学校、廃止。
歴代校長
編集この節の加筆が望まれています。 |
- 初代: 奥村省三
- 第2代: 松山文二
校地の変遷と継承
編集宮崎市西丸山町118番地 (現・宮崎市霧島1丁目) にあった宮崎商業学校の元校舎・設備を旧制工専廃止まで使用した。霧島町校地は後身の宮崎大学工学部に引き継がれ、1986年9月に宮崎市学園木花台 (現・木花キャンパス) に統合移転するまで使用された。旧霧島町校地には、JAビル・JA AZMホールなどが建設されている。
著名な出身者
編集→「宮崎大学の人物一覧 § 旧制学校時代の出身者」を参照
関連書籍
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 宮崎大学工学部 - 後身校
- 宮崎大学工学部同窓会