初世宮下 秀冽(みやした しゅうれつ、1909年12月15日 - 1993年12月24日)は日本の作曲家箏曲家。本名は宮下哲郎(みやしたてつろう)[1]三十絃箏の開発者。

人物・来歴

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群馬県高崎市(当時の倉渕村)生まれ。旧制高崎中学を卒業後、熱病が原因で失明[2]。箏曲家をこころざして、東京盲学校師範部音楽科に入学。古曲を初代萩岡松韻、新曲を宮城道雄、作曲を田辺尚雄から学んだ[3]。1948年の「双調の曲」で三曲新作コンクール1位入賞。1953年の「箏主奏組曲『平家物語による幻想』」で 第8回音楽部門芸術祭奨励賞を受賞した。その後も芸術祭で受賞を繰り返した(大賞2回、入賞8回)ことから、「芸術祭男」とのあだ名で呼ばれた[2]

また、幼少の頃より三十絃の開発に力を注ぎ、1955年ごろに完成[1]。三十絃箏の特徴でもある豊かな音量を活かした作曲作りを行い、「三十絃のための独奏曲」などを作曲した[1]1975年紫綬褒章1982年勲四等瑞宝章。1993年12月27日、心不全のため死去[4][5]

家族

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箏曲家の宮下伸、宮下たづ子は彼の子供。たづ子は父の没後に二世宮下秀冽を襲名した[2]

受賞・受章歴

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受賞

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  • 「双調の曲」(1948年)- 三曲新作コンクール1位入賞、文部大臣賞、NHK賞、日本三曲協会賞[3]
  • 「箏主奏組曲『平家物語による幻想』」(1953年)- 第8回音楽部門芸術祭奨励賞[6]
  • 「日本楽器のための組曲」(1961年) - 第16回音楽部門芸術祭賞[7][8]、第6回宮城賞
  • 「神秘」(1964年)- 第19回レコード(国内盤)部門芸術祭奨励賞[8]
  • 「十七絃のための山楽章」(1965年)- 第20回音楽(放送によるもの)部門芸術祭奨励賞[8]
  • 宮下秀冽作品演奏会 - 第21回音楽(公演によるもの)部門芸術祭奨励賞[9]
  • 「火と水と祈り」(1967年)- 第22回音楽(放送によるもの)部門芸術祭奨励賞[9]
  • 「生々流転」(1968年)- 第23回音楽(放送によるもの)部門芸術祭奨励賞[9]
  • 「竹林精舎」(1972年)- 第27回芸術祭・ラジオ(音楽の部)部門大賞[9]
  • 「蒼空の響」(1979年)- 第27回芸術祭・ラジオ(ラジオ音楽の部〈合唱曲を含〉)部門優秀賞[10]
  • 「風花無限」(1982年)- 第27回芸術祭・ラジオ(ラジオ音楽の部)部門優秀賞[10]

受章

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著作物・作品

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主要作品

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本文に記載されているもの以外を挙げる(いずれも出版されている)。

  • 民謡の主題による幻想曲「四国路」
  • 海と里
  • 北海民謡による幻想曲
  • 古謡の主題と五つの変奏曲
  • 壹越調祝賀
  • 都の春による幻想曲
  • アリランによる舞踊曲

主なディスコグラフィー

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  • 現代箏曲CD選集3 宮下秀冽・斉藤松声(ビクター)
  • 二世宮下秀冽襲名記念 三十絃(日本伝統文化振興財団)
  • 宮下秀冽作品集(日本伝統文化振興財団)
  • 双調の曲 初世宮下秀冽傑作集(日本伝統文化振興財団)

脚注

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  1. ^ a b c 『みやした-しゅうれつ【宮下秀冽】』日本人名大辞典,。 
  2. ^ a b c “宮下 秀冽(初代)”. 新撰 芸能人物事典 明治~平成 (日外アソシエーツ). (2010). 
  3. ^ a b “[新・人物風土記]=450 群馬県=12完 重役におさまった千恵蔵(連載)”. 読売新聞 夕刊: p. 2. (1955年11月12日) 
  4. ^ “宮下秀冽氏死去”. 朝日新聞 朝刊: p. 23. (1993年12月27日) 
  5. ^ “宮下秀冽氏(死去)”. 日本経済新聞 朝刊: p. 27. (1993年12月28日) 
  6. ^ 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和22年度(第2回)~昭和30年度(第10回)” (PDF). 文化庁. 2022年1月23日閲覧。
  7. ^ “芸術祭の受賞きまる 森光子(演劇)や奨励賞に“縁”NTV”. 読売新聞 朝刊: p. 11. (1961年12月19日) 
  8. ^ a b c 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和31年度(第11回)~昭和40年度(第20回)” (PDF). 文化庁. 2022年1月23日閲覧。
  9. ^ a b c d 昭和41年度(第21回)~昭和50年度(第30回)(365KB)” (PDF). 文化庁. 2022年1月23日閲覧。
  10. ^ a b 昭和51年度(第31回)~昭和60年度(第40回)” (PDF). 文化庁. 2022年1月23日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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