実科高等女学校(じっかこうとうじょがっこう)は、かつて日本で、家事裁縫など実用的教科目(実科)を女子に教えていた中等教育機関(女学校)。高等女学校の一種として1910年明治43年)に制度化され、太平洋戦争中の1943年昭和18年)まで存在した[1]

能代実科高等女学校。裁縫室での授業風景(1916年)

概要

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1905年(明治38年)日露戦争勝利ののち女子教育施設が急増したが、実生活に必要な「技芸」を授ける内容が大半だった。このため、家事裁縫など実用的教科目(実科)を主とした学校として1910年(明治43年)に新設された[1]。同年10月25日付で高等女学校令を改正した(明治43年勅令第424号[2])。教育内容とともに「実科ノミヲ置ク高等女学校ノ名称ニハ実科ノ文字ヲ冠スヘシ[2]」として、実科だけを置く学校の名称に実科の文字を義務付けて「実科高等女学校」を定めた。

なお、実科高女が定められる前に、男子教育を行っていた中学校(旧制)においても「尋常中学校実科規程」(明治27年6月15日文部省令第13号)による「実科中学校」が認められていた時期があったが[3]、実科中学校の設置はごくわずかにとどまり[4]1901年(明治34年)に「中学校令施行規則」(明治34年文部省令第3号[5])によって廃止された。

実科高女の規定は、太平洋戦争(第二次世界大戦)中の1943年昭和18年)1月21日、中等学校令(昭和18年勅令第36号)の公布に伴い、高女や中学校、実業学校の3種が同じ制度で中等学校(旧制)として統一されたため、廃止された。

教育内容

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入学資格は尋常小学校卒業程度以上の学力を有する12歳以上で、修業年限は4年間。高等小学校の1年生、2年生の修了程度で入学した場合、修業3年間または2年間。都市型だった高等女学校に比べて、農村型の性格だった[6]

脚注

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  1. ^ a b 二 高等女学校令の制定:文部科学省”. 文部科学省. 2020年11月17日閲覧。
  2. ^ a b 官報』明治43年10月26日第8205号
  3. ^ 尋常中学校実科規程(抄)(明治二十七年六月十五日文部省令第十三号) - 文部科学省、2021年5月8日閲覧。
  4. ^ 中学校・高等女学校の普及状況 - 文部科学省、2021年5月8日閲覧。
  5. ^ 『官報』明治34年3月5日第5298号
  6. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2020年11月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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