安部信宝
安部 信宝(あんべ のぶたか)は、江戸時代後期の大名。武蔵国岡部藩12代藩主。官位は従五位下・摂津守、河内守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保10年(1839年) |
死没 | 文久3年4月10日(1863年5月27日) |
改名 | 虎之助(幼名)、信宝 |
戒名 | 忠巌全孝 |
墓所 | 埼玉県深谷市の源勝院 |
官位 | 従五位下・摂津守、河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定、家茂 |
藩 | 武蔵岡部藩主 |
氏族 | 安部氏 |
父母 | 父:安部信古 |
妻 | 正室:酒井忠宝養女・房(酒井忠学の娘) |
子 | 養子:信発、養女:安部信発正室 |
生涯
編集天保10年(1839年)、11代藩主・安部信古の長男として誕生。天保13年(1842年)12月25日、父・信古が死去したため家督を継いだ。嘉永3年(1850年)3月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁した。嘉永6年(1853年)11月7日、従五位下・摂津守に叙任する。安政5年(1858年)7月12日、河内守に改め、安政6年(1859年)9月11日、摂津守に改めた。
当時の岡部藩では、幕府から罪人と見なされた高島秋帆を預かっていたが、信宝は秋帆を丁重に用いて西洋砲術を学び、藩軍の刷新を図っている。
嘉永7年(1854年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。安政5年(1858年)1月、大坂加番を命じられる。
文久元年(1861年)8月、和宮の江戸下向の警護を務める。文久3年(1863年)1月に二条城定番に任じられるが、4月10日に死去した。享年25。跡を養子の信発が継いだ。
系譜
編集父母
- 安部信古(父)
正室
養子、養女