安部信允
安部 信允(あんべ のぶちか)は、江戸時代中期の大名。武蔵国岡部藩7代藩主。官位は従五位下・丹波守、摂津守、主水正
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保13年(1728年) |
死没 | 寛政10年12月12日(1799年1月17日) |
改名 | 安三郎(幼名)、信允、法雲(法号) |
戒名 | 峻徳院法雲義潤 |
墓所 | 埼玉県深谷市の源勝院 |
官位 | 従五位下丹波守、摂津守、主水正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重、家治 |
藩 | 武蔵岡部藩主 |
氏族 | 安部氏 |
父母 |
父:安部信興、母:八木高輔娘 養父:安部信平 |
妻 | 正室:有馬一準娘 |
子 | 信亨、日向正房(次男)、稲葉通碩(三男)、井上正清(四男)、柳沢里之正室、石川正勲正室、松平康休正室、安部信盈養女、安部信旨養女、安部信富養女 |
生涯
編集享保13年(1728年)、安部信興(3代藩主・安部信友の次男・信方の子)の次男として誕生。又従兄にあたる本家の6代藩主・安部信平が男児無くして寛延3年(1750年)に死去したため、末期養子として家督を継ぎ、12月に従五位下・丹波守に叙位・任官する。
明和8年(1771年)7月に大坂定番に任じられ、7月24日に摂津守に遷任する。天明元年(1781年)9月に病気を理由に辞職した。藩政では藩邸に就将館を設立して藩士の文武を奨励している。
天明2年(1782年)9月11日、家督を長男・信亨に譲って隠居し、主水正に遷任する。寛政10年(1798年)12月12日に死去した。享年71。
系譜
編集父母
正室
- 有馬一準の娘
子女
- 安部信亨(長男)生母は正室
- 日向正房(次男)
- 稲葉通碩(三男)
- 井上正清(四男)外記流砲術宗家・9代井上左太夫
- 柳沢里之正室
- 石川正勲正室
- 松平康休正室
- 安部信盈の養女
- 安部信旨の養女
- 安部信富の養女