安藤麟三
安藤 麟三(あんどう りんぞう、1886年(明治19年)4月15日[1] - 1939年(昭和14年)8月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功五級[2]。
安藤 麟三 | |
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生誕 |
1886年4月15日 日本 茨城県 |
死没 | 1939年8月29日(53歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1905年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集茨城県出身[1]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第29期卒業[1]。1922年(大正11年)8月、陸軍砲兵少佐に進級し[3]、1923年(大正12年)9月時点で露国在勤帝国大使館附武官輔佐官の任にあった[3]。1925年(大正14年)9月時点で野砲兵第1連隊大隊長に転じ[4]、1926年(大正15年)2月18日に関東軍司令部附となり[5]、8月6日に陸軍砲兵中佐に進級した[5]。1928年(昭和3年)11月に参謀本部部員に就任し[6]、1930年(昭和5年)8月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に参謀本部附となった[2]。
1931年(昭和6年)8月、第1師団司令部附となり[7]、國學院大學に配属された[7]。1933年(昭和8年)8月に野戦重砲兵第7連隊長(第1師団・野戦重砲兵第3旅団[8][9])に転じ[7]、1934年(昭和9年)8月にハルピン特務機関長に就任した[7]。1935年(昭和10年)8月、陸軍少将に進級し[7]、1937年(昭和12年)8月に東京湾要塞司令官に就任し[1]、1938年(昭和13年)7月15日、陸軍中将に進級[7]。9月12日に留守第11師団長(東部防衛司令部[10][11])に着任したが[1]、1939年(昭和14年)8月1日に待命となり[1]、8月29日に死去[7]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g 福川 2001, 44頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和5年9月1日調830頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調944頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調856頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調822頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調826頁
- ^ a b c d e f g 外山 1981, 231頁.
- ^ 外山・森松 1987, 372頁.
- ^ 外山・森松 1987, 374頁.
- ^ 外山・森松 1987, 566頁.
- ^ 外山・森松 1987, 570頁.
参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。