安藤野雁
江戸時代後期の歌人、国学者
安藤 野雁(あんどう ぬかり/のかり、1815年[注 1]4月13日(文化12年3月4日)- 1867年4月28日(慶応3年3月24日))は、江戸時代後期の歌人、国学者である。本姓は北村、名は政美[1]。通称は謙次又は刀禰。
経歴・人物
編集陸奥の桑折(現在の福島県)で半田銀山の役人であった北村新兵衛の子として生まれる。若くして父と死別したが、寺西封元の養子となり、のち封元の子で同地の代官であった寺西元栄の門人となった。1841年(天保12年)江戸に入って塙保己一の四男、塙忠宝および内池永年の門人となり、家塾で国学や和歌を学んだ。
その後桑折に戻って、元栄の指導で妻と共に豊後の日田へ向かうが、移った直後に妻や元栄が急逝し後には奇行が目立つようになった。晩年には、容貌が質素になり貧困に悩まされたが、本居大平や村田春門の指導により諸国を行脚し、独学で多くの和歌集を刊行した。
主な著作物
編集主著
編集その他の著書
編集- 『刀禰記』
- 『道の菅の根』
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 71頁。