史料に登場するのは、桓武朝の延暦7年(788年)2月、皇太子安殿親王(のちの平城天皇)の乳母として従五位下に昇叙とある箇所のみである。ただし、平城天皇の初名の「小殿」、改名後の「安殿」は、この乳母の名前より取られている。
平城天皇即位直前の延暦25年(806年)正月、左京の人である一族の正七位上の真直・従五位下の真出らに阿倍朝臣が授けられ[1]、また嵯峨天皇の弘仁3年(812年)4月には一族の大家にも阿倍朝臣が賜姓されている[2]。
『続日本紀』による
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