守山八幡宮 (伊豆の国市)
静岡県伊豆の国市にある神社
守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)は、静岡県伊豆の国市にある神社。狩野川を挟んだ西方・江間地区にある豆塚神社と共に、式内社である石徳高神社(いわとこたけじんじゃ)の後継神社の1つであり、源頼朝が挙兵に当たり平家追討祈願をした神社としても知られる[2][3][4]。
守山八幡宮 | |
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鳥居(左に源頼朝挙兵之碑) | |
所在地 | 静岡県伊豆の国市寺家1204-1[1] |
位置 | 北緯35度2分45.7秒 東経138度56分18.6秒 / 北緯35.046028度 東経138.938500度座標: 北緯35度2分45.7秒 東経138度56分18.6秒 / 北緯35.046028度 東経138.938500度 |
主祭神 | 誉田別命、大山祇神、木花開耶姫命 |
社格等 |
式内社 旧村社 |
創建 | 647年(大化3年) |
例祭 | 10月10日付近の日曜 |
地図 |
概要
編集伊豆の国市(旧韮山町)の寺家(じけ)地区の西部、願成就院をはじめとして周辺に北条家・源頼朝関連施設や、室町時代の伝堀越御所跡などが集中する守山(もりやま)の山中に鎮座している。
境内は2段構成になっており、石段を上がってすぐの場所には舞殿・拝殿があり、そこから更に急な石段142段を上がった先に、本殿・拝殿がある[3]。下の舞殿では、毎年10月の例大祭でしゃぎり・三番叟が奉納される[5][6]。
歴史
編集創建は647年(大化3年)であり、大山祇神を祭神とし、後に式内社となる石徳高神社であったとされる[2][4]。
907年(延喜7年)、豊前国宇佐神宮より八幡神を勧請・合祀し、守山への遷座を経て守山八幡となる[2][4]。
1180年(治承4年)8月、源頼朝が平家追討を祈願して挙兵、配下数十の兵が(後の韮山代官所に程近い)山木兼隆の館を襲撃、火煙が上がるのをこの地から眺めていたとされる[2][3]。
現在の本殿は、1632年(寛永9年)に久能城主・榊原照久によって造営されたものとされる[2][6][7]。(それ以前のものとしては、韮山城主・内藤信成による1597年(慶長2年)の棟札も伝わっている[7]。)
祭神
編集境内
編集- 本殿・拝殿
- 舞殿・拝殿
- 源頼朝挙兵之碑
- 鳥居
脚注
編集外部リンク
編集- 守山八幡宮 - 伊豆の国市観光協会