宇野 朗(うの ほがら、1850年11月28日嘉永3年10月5日) - 1928年昭和3年)11月20日)は、東京大学医学部付属病院初代外科学教授、元同病院長医学博士、東京帝国大学名誉教授[1]伊豆国三島伝馬町(現静岡県三島市)生まれ[2]

東京市浅草区小島町(現在の台東区小島)で樂山堂病院を開業。なお病院は東京大空襲により消失し、再建されなかった。墓所は多磨霊園

栄典

編集
位階
勲章等

脚注

編集
  1. ^ a b 『官報』1903年12月15日「叙任及辞令」。改正帝国大学令第13条に基づき、山川健次郎辰野金吾とともに名誉教授の名称を授与された(名誉教授第一号とする解説もあるが、第一号は外山正一)。
  2. ^ 保健衛生:三島の医学の先駆者”. 三島アメニティ大百科. 三島市. 2011年3月19日閲覧。
  3. ^ 『官報』第907号「叙任」1886年7月10日。
  4. ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
  5. ^ 『官報』第3000号「叙任及辞令」1893年6月30日。
  6. ^ 『官報』1916年5月26日「叙任及辞令」。
  7. ^ 『官報』1925年9月2日「叙任及辞令」。

参考文献

編集
  • 東大第一外科同窓会だより第8巻第1号,東京大学第1外科同窓会編集部(1975年
  • 東大第一外科のあゆみ,東大第一外科同窓会(1976年