宇佐川秀次郎
明治期の大蔵官僚
宇佐川 秀次郎(うさがわ しゅうじろう、嘉永2年(1849年) - 明治14年(1881年))は、明治期の大蔵官僚。銀行学伝習所学頭を務めた。字は義温。従六位。
経歴
編集長州藩萩に生まれ、旧姓藤山という。万延2年正月に宇佐川義方の養子となる。明治3年7月に慶應義塾に入学(証人山口藩知事、父兄の名宇佐川半兵衛)。卒業後の明治5年6月10日大蔵省紙幣寮奉職、次いで紙幣寮の八等出仕、4月銀行学局開設、5月副長となり簿記担当。1875年(明治8年)には国立銀行などから自費通学生を募集することとなり、その年の7月に生徒の多くが紙幣寮に採用されると、銀行学局は廃止されることとなり、銀行課内に翻訳掛を新たに設け、生徒の教育と翻訳が委嘱された。明治9年銀行学局は廃止され、明治10年12月、銀行学伝習所が開設されると学頭に就任。丹吉人、小林雄七郎、遠藤敬止ら慶應義塾の同窓と共に初期の大蔵省を牽引した。
著書
編集- 『銀行実験論』国立国会図書館近代デジタルライブラリー
参考文献
編集- 大蔵省銀行学局から銀行事務講習所へ
- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年