孫都
前漢の人物
孫 都(そん と)は、紀元前2世紀の中国、前漢時代の人物である。生没年不明。はじめ都稽(とけい)といい、南越の郎であったが、紀元前111年に漢に降って臨蔡侯となった。
解説
編集『史記』と『漢書』の南越征服に関する記事と、列侯表に見える。南越征服では都稽、列侯としては孫都と書かれる。
紀元前3世紀末から今の中国華南地方とベトナム北部を支配した南越は、元鼎6年(紀元前111年)に漢の侵攻を受けた[1][2]。南越で実権を持っていた相(大臣)の呂嘉は、王(趙建徳)とともに都の番禺に籠城したが、漢軍に抗しきれず、数百人を連れて海に逃げた[3]。南越の郎だった都稽は、番禺の陥落を聞き、漢の伏破将軍路博徳に降り、呂嘉を捕えた[4][3]。
元封元年(紀元前110年)閏月癸卯に[4][5]、孫都は呂嘉を得た功で臨蔡侯に封じられた[3]。千戸[5]。封地の臨蔡は河内郡にあった[6][5]。太初元年(紀元前104年)より前に死に、子の孫襄が後を嗣いだ[5]。
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集- 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」