好仁村(こうにむら)は、日本の領有下において樺太に存在した指定町村)。

こうにむら
好仁村
廃止日 1949年6月1日
廃止理由 国家行政組織法施行
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 樺太地方
都道府県 樺太庁 真岡支庁
本斗郡
面積 739.94[1] km2.
総人口 4,855
1941年12月1日
隣接自治体 本斗郡内幌町
留多加郡能登呂村
好仁村役場
所在地 樺太庁本斗郡好仁村南名好
座標 北緯46度25分55秒 東経141度52分12秒 / 北緯46.4319度 東経141.8699度 / 46.4319; 141.8699座標: 北緯46度25分55秒 東経141度52分12秒 / 北緯46.4319度 東経141.8699度 / 46.4319; 141.8699
特記事項 1943年4月1日以降は北海地方に所属。
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好仁という地名は、宗仁村と南名好村が合併した際に両村から一字ずつ採った合成地名であり、宗仁はアイヌ語の「ソー・ウン・イ」(滝の在る所)、「ソウニ」(裸岩の在る所)により、名好は「ノア・ウシ」(ヨモギが群生している所、名好町の由来とほぼ同じ)による[2]

現在のロシア連邦サハリン州シェブニノ (Шебунино) にあたる。

概要

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  • 間宮海峡に面し、樺太西海岸の南端に位置する村である。
  • 1790年松前藩が商場を設置して以来江戸時代末までは樺太の玄関口だった、シラヌシ(明治時代の南白主)のあった村である。

歴史

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村内の地名

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旧南名好村地域
  • 南名好(みなみなよし)
  • 奥名好(おくなよし)
  • 刈葉(かるは)
  • 南刈葉(みなみかるは)
  • 茂主(もぬし)
  • 十和田(とわだ)
  • 呂馬内(ろまない)
  • 木歳(きとせ)
  • 武意泊(むいどまり)
  • 南小沢(みなみこざわ)
  • 北藻白(きたもしら)
  • 藻白(もしら)
  • 白牛(しらうし)
  • 渋牛(しぶうし)
  • 音羽(おとは)
  • 利良志内(りらしない)
  • 木歳沢(きとせざわ)
  • 十和田沢(とわだざわ)
  • 呂馬内沢(ろまないざわ)
  • 南名好沢(みなみなよしざわ)
旧宗仁村地域
  • 金敷(かねしき)
  • 十串(とおくし)
  • 西宇類(にしうるい)
  • 菱苫(ひしとま)
  • 遠知志(とおちし)
  • 鴨居沢(かもいざわ)
  • 宗仁(そうに)
  • 宗仁岬(そうにみさき)
  • 白主(しらぬし)
  • 南白主(みなみしらぬし)
  • 北白主(きたしらぬし)
  • 菱苫沢(ひしとまざわ)
  • 西宇類沢(にしうるいざわ)
  • 十串沢(とおくしざわ)
  • 宗仁沢(そうにざわ)

[3]

地域

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教育

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以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[4]

  • 樺太公立渋牛国民学校
  • 樺太公立好仁国民学校
  • 樺太公立南名好沢国民学校
  • 樺太公立昭南国民学校
  • 樺太公立木歳国民学校
  • 樺太公立呂馬内国民学校
  • 樺太公立十和田国民学校
  • 樺太公立宗仁国民学校
    • 十串分教場
  • 樺太公立菱苫国民学校
  • 樺太公立南白主国民学校

脚注

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  1. ^ 市町村別日本国勢総攬 下卷(帝国公民教育教会 1938年)
  2. ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.292、296
  3. ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
  4. ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1686

関連項目

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