奥田助七郎

日本の土木技術者

奥田 助七郎(おくだ すけしちろう、1873年明治6年) - 1954年(昭和29年)9月8日)は、日本土木技術者1874年(明治7年)生まれの記述もみられる[1]名古屋港開港の功労者として評価される。

おくだ すけしちろう

奥田 助七郎
名古屋港管理組合前の胸像(2014年9月)
生誕 日本の旗 日本京都府京都市[1]
死没 1954年(昭和29年)9月8日[1]
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都帝国大学理工科大学土木工学科[1]
肩書き 初代名古屋港務所長
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人物

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1900年7月[2]京都帝国大学理工科大学土木工学科卒業後、愛知県庁に入庁し、1900年(明治33年)8月(1904年(明治37年)とする記述もみられる[3])に愛知県土木技師となった[1]。奥田は1906年(明治39年)9月28日、開港前だった名古屋港報知新聞社主催による博覧会「ろせった丸」を入港させた[1]。これは工事反対者を納得させる目的で、本来四日市港に寄港する予定の同船を呼び込んだものである[4]1920年大正9年)には初代名古屋港務所長に就任し、名古屋港の発展に貢献した[1]。貯木対策・人造石工法などの築港事業の研究にも努めたという[3]1940年(昭和15年)に退官し、『名古屋築港史』(1951年完成、1953年名古屋港管理組合出版[5])を執筆した[1]。1954年(昭和29年)9月8日没[6]

脚注

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参考文献

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  • 伊藤義夫「奥田助七郎」『愛知百科事典』中日新聞社、1976年、188頁。ASIN B000J8CY8E 
  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編「奥田助七郎」『角川日本姓氏歴史人物大辞典 愛知県』角川書店、1991年、439頁。ISBN 4040022300