太平中関
太平中関(たいへいなかぜき)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-1103。住居表示未実施地区。
太平中関 | |
---|---|
北緯39度43分33.12秒 東経140度13分10.86秒 / 北緯39.7258667度 東経140.2196833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 秋田県 |
市町村 | 秋田市 |
人口 | |
• 合計 | 327人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
010-1103 |
市外局番 | 018[2] |
ナンバープレート | 秋田 |
地理
編集秋田市の東部、太平地区の中では南部に位置する。北西部を太平川が東西に横断し、北岸に並行して秋田県道28号秋田岩見船岡線及びその旧道(太平街道)が走る。県道・街道の周辺に寺中・平形・下館・川原と集落が多く集まり、寺社が多い。南岸は太平川支流の谷深くまで農地が広がり、その中の一つに井関沢集落がある。務沢と三番片貝沢・八幡台にかけてゴルフ場「秋田太平山カントリークラブ」がある。その他は山林地帯である。
西・北西は太平目長崎、北東は太平寺庭・太平黒沢、東は太平山谷、南は河辺北野田高野・下北手寒川に隣接する。
小字
編集32の小字が現存する[3]。
- 字家ノ沢(いえのさわ)
- 字井関沢(いせきざわ)
- 字一番片貝沢(いちばんかたかいざわ)
- 字上館(うえだて)
- 字扇田(おおぎだ)
- 字小園崎(おそのざき)
- 字川原(かわら)
- 字鴻巣沢(こうのすざわ)
- 字五城目(ごじょうめ)
- 字五城目下段(ごじょうめげだん)
- 字逆水(さかみず)
- 字三番片貝沢(さんばんかたかいざわ)
- 字信田(しだ)
- 字寺中(じちゅう)
- 字下館(しもだて)
- 字陳ノ川(じんのかわ)
- 字杉ノ下(すぎのした)
- 字台ノ下(だいのした)
- 字槻ノ浜(つきのはま)
- 字寺ノ沢(てらのさわ)
- 字二番片貝沢(にばんかたかいざわ)
- 字八幡台(はちまんだい)
- 字八幡野(はちまんの)
- 字雛沢(ひなざわ)
- 字平形(ひらかた)
- 字坊主淵(ぼうずぶち)
- 字堀内(ほりうち)
- 字宮沢(みやざわ)
- 字務沢(むさわ)
- 字本宿(もとじゅく)
- 字森合(もりあい)
- 字屋敷前(やしきまえ)
河川
編集- 太平川
- (支流多数)
歴史
編集中関の名は明治時代になってから成立したものであり、それ以前は寺中(じちゅう)・堀之内(ほりのうち)・井関沢(いせきざわ)と呼ばれていた[4]。
寺中は、文禄元年8月22日(1592年9月27日)の「秋田家分限帳写」に館岡半兵衛代官所の中で「寺中村 489石余」とあるのが初見資料である(秋田図書館所蔵文書)[5]。慶長6年(1601年)の「秋田家分限帳」にも、鵜瀞長右衛門預かりの鉄砲衆・鑓衆知行として17石7件、工藤小兵衛預かりの弓衆として17石・4件が設定されている[5]。山中の平坦地であり地理的条件に恵まれていたため、開発が早く中世にも充実していたものと考えられる[5]。
江戸期には寺中堀内村となり、久保田藩領で、「正保国絵図」では本田当高330石となっている[5]。「享保黒印高帳」では村高445石余・当高531石余(うち本田471・本田並34・新田26)[5]。「享保郡邑記」では104軒あって、うち枝郷の川原・下館・本宿・平形・宮沢の5ヶ村分が63軒となっている[5]。このうち宮沢は、悪病が流行り1軒を残すのみとなり、当初「寺中堀之内」であった村名の「之」を除くと記録されている[5]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高375石余(うち蔵分356、給分19)[5]。「天保郷帳」では531石で、「羽陰温故誌」によるこの頃の人口は464、馬100・牛40であった[5]。
井関沢村は、始め河辺郡(寛文4年(1664年)4月に豊島郡から改称)で、享保年間に秋田郡へ移った[6]。同じく久保田藩領で、地形的に寺中堀内村の内部にあり、開村以来黒印は堀内村で預っていたという(享保郡邑記)[6]。「享保黒印高帳」では村高69石余・当高46石余(うち本田並26・新田20)[6]。「享保郡邑記」では6軒[6]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高71石余(給分のみ)[6]。「天保郷帳」では46石余[6]。
沿革
編集- 1873年(明治6年)3月 - 大区小区制の改正に伴い、秋田郡寺中堀内村・井関沢村は秋田県第1大区6小区に属した[7]。
- 1876年(明治9年) - 寺中堀内村・井関沢村が合併し中関村となる[4]。
- 1884年(明治17年)頃 - 郡区町村編制法の下で、南秋田郡目長崎村・八田村・中関村・寺庭村・黒沢村・山谷村が連合。戸長役場は目長崎村に設置される[4]。
- 1887年(明治20年) - 連合6ヶ村の戸数491、人口3,095(地方行政区画便覧)[8]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、連合6ヶ村が合併し南秋田郡太平村が発足。太平村大字中関となる[4]。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 太平村が秋田市へ編入されたことに伴い、名称に「太平」を冠した上で秋田市の大字となる[4]。
字域の変遷
編集地区内で町名整理・住居表示実施その他に伴う区画変更は行われていない。
世帯数と人口
編集2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
太平中関(小字全域) | 128世帯 | 327人 |
交通
編集鉄道
編集地区内に鉄道路線・駅は無い。最寄り駅はJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
編集- 秋田中央交通
- 《太平線》 - 川原 - 八幡神社前 - 下館 - 平形 - 太平中学校前 - 寺中 -
道路
編集- 秋田県道28号秋田岩見船岡線
- 太平街道
- 新山林道
施設
編集字家ノ沢
編集- 井関沢公民館
字上館
編集- 天照皇大神宮
- 太平つつじ園
字小園崎
編集- JA新あきた東部低温倉庫
字川原
編集- 川原公民館
- 太平電話交換所
字寺中
編集- 寺中公民館
- 堀内公民館
- 林清寺
字八幡野
編集- 若宮八幡神社
字平形
編集- 秋田市立太平中学校
- 平形公民館
字宮沢
編集- 永元寺
字務沢
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
- 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
- 秋田市 地名小辞典