天野董平
天野 董平(あまの とうへい、1850年1月17日(嘉永2年12月5日[1][2])- 1923年(大正5年)6月24日[1][注釈 1])は、明治から大正初期の醸造家・実業家・政治家。衆議院議員、山梨県北都留郡笹子村長。
経歴
編集甲斐国都留郡吉久保村[1](山梨県[3]北都留郡笹子村[4][5]を経て現大月市[1]笹子町吉久保)で、酒造業[2]・天野五郎左衛門の長男として生まれる[2]。漢学を修めた[2][3][5]。明治2年1月(1869年)家督を相続し家業を継承した[2][5]。
1872年(明治5年)吉久保村戸長に就任[1]。笹子村戸長を務め[1]、1882年(明治15年[注釈 2])山梨県会議員に選出され、同常置委員、同参事会員、所得税調査委員、徴兵参事員、笹子村長、笹子村会議員、北都留郡会議員なども務めた[1][2][3][4][5]。
衆議院議員には第9回[1][4][6]、第10回総選挙で当選し[1][4][7]、立憲国民党に所属し連続2期在任した[3][5]。山梨同志会の副会長も務めた[1]。
国政選挙歴
編集- 第3回衆議院議員総選挙(山梨県第2区、1894年3月、自由党)次点落選[8]
- 第4回衆議院議員総選挙(山梨県第2区、1894年9月、自由党)次点落選[9]
- 第6回衆議院議員総選挙(山梨県第2区、1898年8月、憲政本党)次点落選[9]
- 第9回衆議院議員総選挙(山梨県郡部、1904年3月、甲辰倶楽部)当選[6]
- 第10回衆議院議員総選挙(山梨県郡部、1908年5月、憲政本党)当選[7]