天野修一

三重県出身の発明家・実業家、アマノ創業者

天野 修一(あまの しゅういち、1890年明治23年)6月15日 - 1976年昭和51年)12月1日)は、日本発明家実業家アマノ株式会社の創設者。子息に立命館大学名誉教授学校法人立命館総長天野和夫

略歴

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三重県鈴鹿郡石薬師村(現在の三重県鈴鹿市石薬師町)出身。1911年大正元年)、23歳の時に「A式綴紙器」を発明して特許を取得。1931年(昭和6年)、東京蒲田に天野製作所を設立してタイムレコーダー・気象用計器の製造を開始した。1938年(昭和13年)に海軍から雷道計の開発・製造を請け負い横浜菊名に新工場を建設し、1942年(昭和17年)には海軍管理工場に指定されて本社を菊名工場に移転したが、敗戦により工場閉鎖。1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙神奈川県第1区から出馬するが落選。

1949年(昭和24年)、企業再建整備法によって天野製作所は解散させられた。しかし、天野はすぐに横浜機器株式会社(現在のアマノ株式会社)を創立してタイムレコーダーの生産を再開。国鉄に納入するなど実績を積み、1964年(昭和39年)にはニューヨークに現地法人アマノ・タイムシステムズを設立するなど海外へも販路を拡大していった。

1959年(昭和34年)紫綬褒章1961年(昭和36年)横浜文化賞1965年(昭和40年)勲三等瑞宝章を受章。没後の1977年(昭和52年)にアマノ本社敷地内に功績をたたえる天野記念館(現在の天野修一メモリアルホール)が設立された。墓所は多磨霊園

著書

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  • 『航空の知識』 博文館 (1926年)
  • 『鈍根運:天野修一自伝』 天野特殊機械 (1963年)

関連項目

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外部リンク

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