天祐紹杲
1586-1666, 江戸時代初期の臨済宗の僧、大徳寺住持
天祐紹杲(てんゆう しょうこう、天正14年(1586年) - 寛文6年9月21日(1666年10月19日))は、江戸初期の臨済宗の僧、大徳寺住持。
略歴
編集近江国出身で美濃部(本姓は菅原氏)氏の出自と伝わる。天祐は道号、紹杲は諱、別号に夢伴子・実夢叟などがある[1]。万江宗程に師事し、寛永2年6月18日(1625年7月22日)大徳寺169世住職となった[1]。仏海祖燈禅師の号を後水尾天皇より賜った。のち大和宇多に長泉山徳源寺(織田信雄菩提寺)を開山し、寛文6年9月21日(1666年10月19日)に入寂した[1]。
大徳寺では梅厳院、大徳寺南庭を作庭したとされ墨跡としても名を残し、森鷗外が細川藩で起きた悲劇を描いた小説『阿部一族』の中に登場する人物として知られている[2]。また、大徳寺154世住持である沢庵宗彭と親しかったと伝えられる[3]。