大須観音通(おおすかんのんどおり)は、愛知県名古屋市中区大須2丁目にある東西の通り(全蓋式アーケード商店街)。

大須観音通
地図

西端部
主な
経由都市
愛知県名古屋市中区大須2丁目
接続する
主な道路
記法
本町通
万松寺通
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

全長約150メートル[1]。西端は大須観音、東端は本町通であり、富士浅間神社にも近い。戦前の名称は浅間通(せんげんどおり)[2]、戦後の1994年(平成6年)までの名称は大須通(おおすどおり)[3]。商店会の名称は大須観音通商店街振興組合[4]

歴史

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戦前の歴史

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慶長17年(1612年)、徳川家康の命(清洲越し)によって大須観音が現在地に移転した。名古屋城下の軸であった本町通から大須観音に向かう通りとしてまず築かれたのは仁王門通であり、次いで浅間通が築かれた。

1938年(昭和13年)時点では本町通と交差する東端に鳥居があり、富士浅間神社のある角にも鳥居があった[5]。同年時点では後の大須観音から料亭八千久までが浅間小路、港座から本町通までは浅間通という名称だった[5]。戦前の浅間通には映画館芝居小屋射的場、飲み屋などが建ち並んでいた[2]

戦後の歴史

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1951年の大須通

戦後にはかつての浅間通が大須通と呼ばれた。1951年(昭和26年)8月28日、大須通商店街に街路灯(ネオン)が設置された[6]。戦後に名古屋市で初めてパチンコ店ができたのは大須通である[2]。1960年代前半の大須通には港座太陽館、名画座などの映画館があった[2]

1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)にかけて、万松寺通、仁王門通、東仁王門通などに相次いで全蓋式アーケードが設置された[7]。大須通と仁王門通でも同時期に建設を行い、1963年(昭和38年)7月23日には揃って全蓋式アーケードの完工式が行われた[8]。大須通の全蓋式アーケードは全長160メートル、幅6メートル、高さ8メートルであり、総工費は2500万円[8]

2010年(平成22年)9月7日、街路灯の照明を水銀灯からLEDに改修した[1]

施設

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現存する施設

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アーケード内部

現存しない施設

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1956年の大須東宝(太陽館)
  • 太陽館 - 映画館[12]。文明館と電気館に次いで大須で3番目の活動写真館として[13]、1912年(明治45年)7月5日に開館した[14]。1921年(大正10年)1月5日には古川為三郎の経営に代わって新装開館した[15]。その後日本を代表する実業家となった古川が最初に手掛けた映画館である[16]。戦後には大須グランド劇場、ムービー太陽、大須東宝、太陽館と名を変え[17]、1985年(昭和60年)3月29日をもって閉館した[16]。建物前には尾張名古屋の三名水と呼ばれた柳下水の井戸があった。
  • 港座 - 映画館[12]。1914年(大正3年)に芝居小屋として開館し、1920年(大正9年)9月20日に映画館化した。戦後には跡地の一部に大須演芸場が開館し、さらに跡地に愛知県中小企業福祉会館が竣工した。
  • 八千久 - 料亭。明治初頭、松浦弥一によって漬物店として創業し、数年後に従兄弟の松浦弥兵衛によって料亭も開業した[18]。名古屋市では名の知られた料亭であり、松坂屋初代社長の伊藤祐民なども贔屓にしていた[18]。1937年(昭和12年)2月1日に名古屋駅が開業した際、駅弁の立ち売りと社内での販売を開始し、全国駅弁連合会会長を務めた時期もある。1938年(昭和13年)1月2日、伊藤祐民好みの数寄屋造りに改築して営業を再開した。覚王山に支店を構えていた[19]。浅間通を挟んで向かいには料亭の泉竹もあった[12]
  • 愛楽園 - 小料理屋兼旅館[5]。名古屋市立門前小学校が移転した後、1902年(明治35年)秋には跡地に菊人形の展示場である花屋敷ができたが、数年後に焼失して跡地に愛楽園ができた[5]。1932年(昭和7年)頃に廃業した[5]
  • うまいもの横丁 - 浅間通から仁王門通に抜ける路地[12]
  • 愛知県中小企業福祉会館

脚注

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  1. ^ a b 「大須活性の灯さらに明るく 街灯をLEDに」『中日新聞』2010年9月9日
  2. ^ a b c d 「近く面目を一新 新地は戦後の新名所」『名古屋タイムズ』1963年6月23日
  3. ^ 『大須レトロ』樹林舎、2010年、p.47
  4. ^ 大須観音通商店街振興組合 金シャチ商店街
  5. ^ a b c d e 平野豊二『大須大福帳』双輪会、1980年、pp.61-62
  6. ^ 「やっと夜の花灯る まだあった大須の谷間」『名古屋タイムズ』1951年8月30日
  7. ^ 名古屋都市センター歴史まちづくりシリーズ⑤「商業による賑わいの歴史」 加藤義人の東海創生コラム
  8. ^ a b 「大須に二つのアーケード 仁王門と大須通で完工式」『名古屋タイムズ』1963年7月23日
  9. ^ a b 「大須商店街 『第3アメ横』来月誕生 3階建て飲食店入居」『中日新聞』2013年2月16日
  10. ^ a b 「大須の名水 名残はここに 那古野山公園リニューアル」『中日新聞』2022年2月12日
  11. ^ 「『柳下水』復元へ 江戸期に『名古屋の三名水』 市が来年度 大須住民の熱意実る」『中日新聞』2020年10月10日
  12. ^ a b c d 『名古屋案内 附 郊外近県名勝案内』名古屋ガイド社、1934年、p.59
  13. ^ 伊藤紫英『シネマよるひる 改稿名古屋映画史』伊藤紫英、1984年、pp.123-125
  14. ^ 柴田勝『中京名古屋映画興行の変遷』柴田勝、1974年、p.20
  15. ^ 『追想 古川爲三郎』古川爲三郎追想集発行委員会、1994年、pp.36-41
  16. ^ a b 「最古の映画館、消える 明治生まれ『太陽館』 興行主古川さん 地位築いた出発点」『中部読売新聞』1985年4月4日
  17. ^ 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会『大須レトロ』樹林舎、2010年、p.134
  18. ^ a b 平野豊二『大須大福帳』双輪会、1980年、pp.260-268
  19. ^ 『名古屋案内 附 郊外近県名勝案内』名古屋ガイド社、1934年、p.79

外部リンク

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