大野 勝巳(おおの かつみ、1905年4月6日 - 2006年9月1日)は、北海道浜中町出身の外交官

経歴

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北海道釧路支庁管内浜中町の貧しい酪農家で産まれる。立教中学東京外国語学校東京外国語大学の前身)を経て、1929年京都帝国大学経済学部卒。同年外務省に入省。同期に朝海浩一郎(終戦連絡事務局長官、駐米大使)、山田久就(事務次官、駐ソ大使、環境庁長官)など。外相大東亜相秘書官終戦連絡中央事務局賠償部長、外務省管理局長などを経て、1948年総務局長、翌年政務局長。1952年参事官

1953年マニラ在外事務所長としてフィリピンに赴任、同国との賠償交渉に当り、同年フィリピン副大統領兼外相・カルロス・ガルシアとの間で協定案(「大野・ガルシア覚書」)を交換したが、フィリピン世論や議会などの強い反対によって破棄された。その後1955年オーストリア公使1956年西ドイツ大使1957年外務事務次官を歴任し、1958年から64年までは駐大使を務めた。

1964-86年外務省顧問。この間1967年シェル石油副社長1972-76年には帝国ホテル社長を、1977-80年には日本国際問題研究所理事長も務めた。2006年9月1日に老衰のため、死去。享年101[1]1975年勲一等瑞宝章受章[2]2006年従三位[3]

刊行文献

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元・イギリス首相の著書を訳す。

脚注

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  1. ^ Ex-Vice Foreign Minister Ono dies”. The Japan Times (2006年9月4日). 2011年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月9日閲覧。
  2. ^ 官報昭和50年本紙第14512号 19頁
  3. ^ 官報平成18年本紙第4440号 9頁

関連項目

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先代
山中徳二
外務省管理局長
1947年 - 1948年
次代
倭島英二
先代
朝海浩一郎
外務省総務局長→政務局長
1948年 - 1949年
次代
島津久大
先代
金澤辰次郎
帝国ホテル社長
1972年 - 1976年
次代
原正雄
先代
高橋通敏
日本国際問題研究所理事長
1977年 - 1980年
次代
中川融