大達信太郎
大達 信太郎(おおだて のぶたろう、1921年5月5日 - 1981年4月24日[1])は、愛媛県伊予郡出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は野本 幸重。元年寄9代芝田山、15代陣幕、21代湊。身長173cm、体重103kg。最高位は東十両8枚目。得意技は左四つ、寄り。
経歴
編集1939年1月場所初土俵、1950年5月場所十両昇進。1953年5月場所限りで引退し、9代芝田山を襲名。その後陣幕を経て、湊に名跡変更した。
主な成績
編集- 通算成績:163勝164敗9休 勝率.498
- 十両成績:53勝73敗9休 勝率.421
- 現役在位:34場所
- 十両在位:9場所
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1945年6月場所)
場所別成績
編集春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
1939年 (昭和14年) |
(前相撲) | x | (番付外) | x | ||
1940年 (昭和15年) |
(前相撲) | x | 西序ノ口36枚目 6–2 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
東序二段61枚目 5–3 |
x | 東三段目65枚目 6–2 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西三段目18枚目 4–4 |
x | 西三段目10枚目 2–6 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
西三段目21枚目 4–4 |
x | 西三段目8枚目 4–4 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
東三段目5枚目 5–3 |
x | 東幕下33枚目 2–3 |
東幕下42枚目 2–3 |
||
1945年 (昭和20年) |
x | x | 西三段目7枚目 優勝 4–1 |
東幕下14枚目 3–2 |
||
1946年 (昭和21年) |
x | x | x | 東幕下10枚目 1–6 |
||
1947年 (昭和22年) |
x | x | 西幕下27枚目 2–3 |
東三段目4枚目 4–2 |
||
1948年 (昭和23年) |
x | x | 西幕下22枚目 4–2 |
東幕下15枚目 3–3 |
||
1949年 (昭和24年) |
東幕下13枚目 5–7 |
x | 東幕下17枚目 9–6 |
東幕下8枚目 9–6 |
||
1950年 (昭和25年) |
西幕下3枚目 10–5 |
x | 西十両9枚目 8–7 |
東十両8枚目 3–3–9[2] |
||
1951年 (昭和26年) |
西幕下筆頭 7–8 |
x | 東幕下2枚目 9–6 |
東十両14枚目 7–8 |
||
1952年 (昭和27年) |
西十両15枚目 7–8 |
x | 東十両16枚目 8–7 |
東十両13枚目 6–9 |
||
1953年 (昭和28年) |
東十両16枚目 8–7 |
東十両14枚目 4–11 |
西十両19枚目 引退 2–13–0 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 朝見冨士(あさみふじ)1939年1月場所 - 1948年10月場所
- 大達 信太郎(おおだて のぶたろう)1949年1月場所 - 1953年5月場所
参考文献
編集- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
編集- ^ 大達 信太郎(相撲人名鑑)
- ^ 左膝関節脱臼により3日目から途中休場、13日目から再出場
関連項目
編集外部リンク
編集- 大達 信太郎 - 相撲レファレンス