大谷刑部
幕末の真言宗の僧侶・志士
大谷 刑部(おおたに ぎょうぶ、天保15年(1844年)-慶応3年12月18日(1868年1月12日))は幕末の真言宗の僧侶・志士。
国定忠治の子。幼名は寅次、法名は千乗、諱は国次(くにつぐ)。「大谷千乗」「大谷国次」とも。
生涯
編集上野国出身。父の処刑後に寺に入れられて出家して、下野国出流山(現在の栃木県栃木市)にある千手院満願寺に入る。慶応3年(1867年)11月、薩摩藩士ら志士による倒幕の挙兵(出流山事件)が発生すると、これに共感して倒幕軍に参加し、還俗して大谷刑部国次と名乗った。
地元に詳しい参加者として軍資の調達に奔走するが、岩船山の戦いで幕府軍に捕らえられ、慶応3年12月18日佐野河原で処刑された。
参考文献
編集- 「大谷國次」『日本人名大事典』第4巻、平凡社、1979年、P566.
脚注
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