大津麟平
日本の内務官僚・台湾総督府官僚
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大津 麟平(おおつ りんぺい、慶応元年10月18日(1865年12月5日)[1] - 1939年(昭和14年)12月31日[2])は、日本の内務・台湾総督府官僚。県知事。
経歴
編集肥後国出身。大津俊太郎の長男として生まれる。1890年、帝国大学法科大学独法科を卒業。同年11月、高等試験に合格し、内務省試補となり地理局に配属された。以後、新潟県・埼玉県の各参事官などを歴任。
1896年、台湾総督府に転じ、台南郵便電信局長、台南県内務部長、台南県警部長、総督府秘書官などを歴任。1908年5月、警視総長となり、さらに1909年10月25日、蕃務総長に任じられた[3]。
1914年6月、岩手県知事に就任。1919年4月、徳島県知事に転任。1921年5月まで在任して退官。その後、 東亜同文書院院長、大日本武徳会武道専門学校長を歴任した。
栄典
編集- 位階
- 勲章
著書
編集- 『憲法原論』専修学校、1891年。
- 『制度沿革』専修学校、1891年。
- 『理蕃策原議』大津麟平、1914年。