大沼 保吉(おおぬま やすきち、1873年明治6年〉2月3日[1] - 1962年昭和37年〉10月22日[1])は、日本造り酒屋経営者政治家寿虎屋酒造経営者(第8代)。千代寿虎屋酒造経営者(初代)。山形市長(第10代・3期)。山形県会議員(1期)。山形市会議員(4期)。山形市名誉市民(第1号)。山形商工会議所会頭(第6代)。山形県酒造組合連合会会長。山形市東南村山郡酒造組合組合長(初代)。

大沼 保吉

『いつも嘘は言わぬ』・『言った事には責任を持って実行する』が格言であった。

来歴

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  • 1873年明治6年)2月3日 - 油屋の次男の父:加藤定蔵と母:加藤シウの次男として山形三日町に誕生。
  • 1880年(明治13年) - 十日町小学校 入学(同期に佐々木春作〈後に衆議院議員〉、佐伯美津留〈後に無電界の権威〉がいた)
  • 1883年(明治16年) - 香澄町小学校高等科 入学
  • 1886年(明治19年) - 米沢市の敬学舎(上泉直蔵:代表)入塾、私立米沢中学校(後の山形県立米沢興譲館高等学校)入学
  • 1888年(明治21年)3月 - 上京し谷中の瑞輪寺に奉公しながら東京商業素修学校に通う。
  • 1892年(明治25年)3月 - 高等商業学校(後の一橋大学)付属主計学校 卒業
  • 1896年(明治29年) - 山形七日町の虎屋本店7代目大沼金治の二女:ウンと結婚し婿養子となる。
  • 1897年(明治30年)7月15日 - 役所に入籍届をする。この年に1女をもうける。
  • 1898年(明治31年)3月7日 - ウンが18歳で死去。
  • 1904年(明治37年)6月22日 - ウンの妹のセイと結婚し後に3男1女をもうける。この時の仲人は大沼デパート創業者の先代・大沼八右衛門。
  • 1906年(明治39年)10月10日 - 虎屋本店8代目当主となる(佐太郎が嫡男のため戸籍上は7代目方から分家)。
    • 10月13日 - 7代目が嫡男:佐太郎を連れて五日町に移住し五日町虎屋を開業。
    • 虎屋の当主は代々「勘四郎」を襲名したが、婿である7代目は襲名を許されなかったので保吉も襲名しなかった。
  • 1911年(明治44年)5月8日 - 市北大火で家屋と虎屋の店舗が全焼。以後バラックで生活する。
  • 1913年(大正2年)6月 - 第9回山形市会議員選挙落選
  • 1914年(大正3年) - 家屋と虎屋本店店舗を建築する。
  • 1915年(大正4年) - 国家最高儀礼「御登極御大典」御用酒に選ばれる。
    • 4月 - 山形市東南村山郡酒造組合初代組合長就任。山形商業会議所議員就任。
  • 1917年(大正6年)6月 - 第10回山形市会議員選挙初当選
  • 1921年(大正10年)6月 - 第11回山形市会議員選挙2期目当選、名誉職参事会員1回目就任
  • 1922年(大正11年) - 寒河江町の倒産した造り酒屋「石山佐助」の酒造工場を買収して虎屋第三酒造場(後の千代寿虎屋)として創業。
  • 1923年(大正12年)9月26日 - 山形県会議員選挙初当選
  • 1924年(大正13年)11月22日 - 山形県参事会員就任
  • 1925年(大正14年)4月 - 山形商業会議所常議員就任
    • 6月 - 第12回山形市会議員選挙3期目当選、名誉職参事会員2回目就任
  • 1926年(大正15年)11月 - 山形県会議会において山形市での全国産業博覧会の開催を提唱。
  • 1927年(昭和2年) - 山形県全国産業博覧会総務部部長就任
    • 4月1日 - 山形商業会議所は「山形商工会議所」に改名される。引き続き議員を務める。
    • 9月11日 - 山形県全国産業博覧会開場。10月20日に閉会し大成功をおさめる。
    • 9月25日 - 山形県会議員選挙落選
  • 1928年(昭和3年)5月 - 山形商工会議所副会頭就任
    • 9月18日 - 山形商工会議所朝鮮満州産業視察団団員となり朝鮮と満州を視察。10月5日帰国。
  • 1929年(昭和4年)6月1日 - 第13回山形市会議員選挙4期目当選
  • 1931年(昭和6年)7月8日 - 山形商工会議所第6代会頭就任
  • 1932年(昭和7年)11月18日 - 山形市長選挙初当選
    • 12月 - 山形商工会議所議員及び会頭を辞任し顧問となる。
  • 1936年(昭和11年)10月30日 - 山形市長選挙2期目当選
  • 1940年(昭和15年)12月11日 - 山形市長選挙3期目当選
    • 12月25日 - 虎屋第三酒造場を虎屋より分離独立させ「虎屋寒河江酒造場」と改名。次男:義之助が経営者となる。
    • 虎屋酒造本店は「寿虎屋酒造」と改名する。
  • 1941年(昭和16年)12月23日 - 隠居し長男の勘四郎に家督を譲る。
  • 1944年(昭和19年)4月27日 - 勅令第307号により山形市長は奏任官待遇となる。
    • 12月11日 - 山形市長 退任、山形商工会議所顧問退任
  • 戦後、公職追放となる[2]
  • 1962年(昭和37年)10月22日 - 午前8時30分死去。数え年90歳没。
    • 10月29日 - 山形市中央公民館で山形市葬。
    • 菩提寺は山形市緑町の専称寺。戒名:興徳院殿良證覚誉慈眼大居士

栄典・受賞

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その他の役職

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  • 山形県商品陳列所供託会会長
  • 山形殖産無尽株式会社監査役
  • 荒屋合資会社出資社員

出版物

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著書
  • 『大沼保吉翁回想録』 1963年6月 後藤嘉一(編著) 大沼保吉翁回想録編纂委員会(出版)
関連書籍
  • 『千代寿虎屋酒造史』 1989年8月 大沼義之助(著) 千代寿虎屋酒造(出版)
  • 『酒蔵片々 - 幼少編』 2004年1月 大沼保義(著) 千代寿虎屋酒造株式会社(出版)

親族

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  • 父:加藤定蔵 - 保吉が生まれる前年の1872年(明治5年)8月に死去。
  • 母:加藤シウ - 十日町の名門商家・高田金兵エの二女。
  • 伯母:大沼ひさ - 十日町の名門商家・高田金兵エの長女。虎屋6代目経営者・大沼勘四郎の妻
  • 養父:大沼金治 - 塗師町の榎森伊兵衛の次男。虎屋7代目経営者
  • 養母:大沼てる - 虎屋6代目経営者・大沼勘四郎の長女。
  • 前妻:大沼ウン - 金治の二女。(保吉とは従叔父と従姪の関係)
    • 婿養子:大沼貞蔵 - 医師、医学博士、山形県医師会初代会長
    • 長女:大沼セン - 貞蔵の前妻
  • 後妻:大沼セイ - 金治の三女。(保吉とは従叔父と従姪の関係)

脚注

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、50頁。
  2. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛支部長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、493頁。NDLJP:1276156 
  3. ^ 『官報』・付録 1941年11月07日 辞令二
  4. ^ 名誉市民一覧” (PDF). 山形市. 2022年7月29日閲覧。

外部リンク

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出典

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  • 『大沼保吉翁回想録』 1963年6月 後藤嘉一(編著) 大沼保吉翁回想録編纂委員会(出版)
  • 『千代寿虎屋酒造史』 1989年8月 大沼義之助(著) 千代寿虎屋酒造(出版)
  • 『酒蔵片々 - 幼少編』 2004年1月 大沼保義(著) 千代寿虎屋酒造株式会社(出版)
  • 『官報』 1962年10月29日 本紙 10761 叙任及辞令
  • 『山形県議会八十年史 Ⅲ-付録 歴代県議会議員一覧表』 1967年 山形県議会(編纂・出版) 
  • 『山形市史』 山形市(編纂)
  • 『百年のあゆみ』 山形商工会議所100周年記念事業委員会(編) 山形商工会議所(出版)
  • 『山形商工会議所史 上巻』 1972年11月 後藤嘉一(著) 山形商工会議所(出版)
  • 寿虎屋酒造HP「寿虎屋酒造の歴史
  • 『全国市長銘鑑・自治制実施五十周年記念』 1938年 帝国自治協会 (著・出版)