大村市立大村小学校
長崎県大村市にある小学校
大村市立大村小学校(おおむらしりつ おおむらしょうがっこう、英:Omura City Omura Elementary School)は、長崎県大村市玖島一丁目にある公立小学校。
大村市立大村小学校 | |
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北緯32度53分58.7秒 東経129度57分36.6秒 / 北緯32.899639度 東経129.960167度座標: 北緯32度53分58.7秒 東経129度57分36.6秒 / 北緯32.899639度 東経129.960167度 | |
過去の名称 |
1. 第五大学区第三中学区玖島小学校 2. 玖島学区公立中等玖島小学校 3. 大村学区公立中等大村小学校 ・公立中等大村女児小学校 4. 尋常大村小学校 5. (組合立)大村尋常小学校 ・(組合立)大村高等小学校 6. (村立)大村尋常高等小学校 ・(町立)大村町尋常高等小学校 7. (町立)大村尋常高等小学校 8. (町立)大村尋常小学校 ・(町立)大村高等小学校 9. 大村町大村国民学校 10. 大村町第一国民学校 11. 大村市第一国民学校 12. 大村市大村国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大村市 |
併合学校 | 琴浦小学校 |
校訓 | 夢・元気・輝き |
設立年月日 | 1873年(明治6年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B142210000876 |
所在地 | 〒856-0834 |
長崎県大村市玖島一丁目61番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
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概要
編集- 歴史
- 1872年(明治5年)の学制発布により、1873年(明治6年)に大村藩の藩校「五教館」の校舎の一部を使用し、「玖島小学校」として開校。数回の改称を経て、戦後の1947年(昭和22年)4月の学制改革の際に現校名となった。
- 校地には五教館の御成門(ごせいもん、通称:黒門)が保存されている。
- 校訓
- 「夢・元気・輝き」
- 校章
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沿革
編集- 1873年(明治6年)
- 1874年(明治7年) - 裏町に琴浦小学校が開校。間もなく玖島小学校に統合。
- 1882年(明治15年) - 「玖島学区公立中等玖島小学校」に改称。
- 1884年(明治17年)- 「大村学区公立中等大村小学校」(男児校)と「大村学区公立中等大村女児小学校[2]」の2校に分離。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、男児校と女児校が統合され、「尋常大村小学校」に改称。大村(村)と大村町の組合で運営を行う。
- 1887年(明治20年)3月 - 尋常池田小学校を統合し、池田分舎とする。
- 1889年(明治22年)9月 - 池田分舎が分離し、尋常池田小学校として独立。
- 1892年(明治25年)
- 1899年(明治32年)3月31日 - 大村高等小学校の運営(組合)から三浦・鈴田の2村が脱退し、「大村町二ヶ村組合立大村高等小学校」となる。
- 1900年(明治33年)3月31日 - 大村高等小学校の運営(組合)から西大村が脱退し、「大村町大村組合立大村高等小学校」となる。
- 1904年(明治37年)4月1日 - 大村町と大村の組合が解消されたことにより、それぞれに尋常高等小学校が設置されることとなる。
- 大村(村)には「大村尋常高等小学校」が設置される(尋常科4年・高等科4年)。校長には永田栄次郎が就任。旧・大村尋常小学校の校舎を使用。
- 大村町には「大村町尋常高等小学校」が設置される(尋常科4年・高等科4年)。校長には一瀬前義が就任。旧・大村高等小学校の校舎を使用。
- 1909年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。
- これに伴い、修業年限が尋常科4年・高等科4年から尋常科6年・高等科2年に改められる。
- 1923年(大正12年)4月 - 長崎県師範学校[5]男子部が長崎から大村に移転してきたため、大村町尋常高等小学校を附属小学校とする。
- これにより、大村町尋常高等小学校は発展的に廃止された。
- 1925年(大正14年)
- 4月 - 大村(村)と大村町が合併し新「大村町」が発足したため、大村尋常高等小学校は大村町立の小学校となる。
- 12月 - 長崎県師範学校の代用附属小学校となる。
- 1933年(昭和8年)4月 -「大村尋常小学校」と「大村高等小学校」に分離。
- 1934年(昭和9年)4月 - 長崎県師範学校男子部と女子部の校地交換[6]に伴い、長崎県師範学校女子部(後に長崎県女子師範学校)[5]の代用附属小学校となる。
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 2月 - 市制施行により、「大村市第一国民学校」に改称。
- 4月1日 - 分離していた高等科の校舎を尋常科の校舎に統合する。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)4月 - 三城国民学校(現・大村市立三城小学校)の開校に伴い、学区を変更[8]。
- 1946年(昭和21年)4月 - 大多武[9]分教場を設置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1949年(昭和24年)4月 - 学区変更により、武部・田の平・桜ヶ丘・水計・荒平地区を三城小学校に編入。
- 1954年(昭和29年)4月 - 長崎大学学芸学部[5]の長崎市移転に伴い、大村市下久原にあった附属小学校と合併。
- 1955年(昭和30年)9月 - 完全給食を開始。
- 1958年(昭和33年)4月 - 国立大村病院(現・国立病院機構長崎医療センター)小児医療センター内に虚弱児を対象とした養護学級(現・長崎県立大村特別支援学校)が設置。
- 1959年(昭和34年)
- 3月 - 鉄筋2階建て新校舎が完成。
- 4月 - 大多武分校が分離し、大村市立東大村小学校として独立。
- 1960年(昭和35年)4月 - 大村市立西大村小学校より、箕島[11]分校が移管される。
- 1962年(昭和37年)4月 - 養護学級(現・特別支援学級)が設置。
- 1965年(昭和40年)
- 2月 - 本館が完成。
- 4月 - プールが完成。
- 1971年(昭和46年)9月 - テレビスタジオが完成。
- 1972年(昭和47年)3月 - 体育館が完成。長崎空港建設のため、箕島分校が廃止。
- 1973年(昭和48年) - 創立100周年を迎える。
- 1974年(昭和49年)5月 - 言語障害児学級を開設。
- 1976年(昭和51年)12月 - 米飯給食を開始。
- 1977年(昭和52年)5月 - 情緒障害児学級を開設。
- 1980年(昭和55年)4月 - 児童数が最大の1,324名となる。
- 1981年(昭和56年)4月 - 児童数増加により、大村市立旭が丘小学校が新設・分離。
- 1985年(昭和60年)2月 - 卒業記念の一環として体育館専用放送施設を設置。
- 1988年(昭和63年)3月 - 二宮金次郎銅像を再建。
- 1998年(平成10年)1月 - パソコン室を設置。
- 1999年(平成11年)11月 - 中庭に芝生広場が完成。
- 2010年(平成22年)8月 - 太陽光パネルを設置。
- 2012年(平成24年)4月 - 肢体不自由特別支援学級「おひさま学級」を開設。
- 2013年(平成25年)8月 - 大村市内の学校給食共同調理場が統合され、大村市小学校給食センターが新設される。
- これにより、市立小学校すべての給食が1ヶ所で調理されることとなった。
アクセス
編集最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
- 県営バス 大村市内線(大村)市役所前バス停
最寄りの国道・県道
周辺
編集- 大村市役所
- 大村玖島郵便局
- 大村公園・玖島城跡
- 長崎県教育センター
- 大村市立大村幼稚園
- 大村市立玖島中学校
- 長崎県立大村高等学校
- 長崎県立大村城南高等学校(旧・長崎県立大村園芸高等学校)
- 大村市学校給食会
- 大村警察署玖島交番
同名の小学校
編集脚注
編集- ^ 読みは「くしま」。
- ^ 旧・快行院跡の長崎県立大村中学校(長崎県立大村高等学校の前身)の廃校舎をあてる。
- ^ 旧・大村藩 屯営所跡(現・大村小学校の前付近)に設置され、東彼杵郡の彼杵村以東の児童を対象としていた。
- ^ 大村・西大村・三浦村・鈴田村の4村
- ^ a b c d 長崎大学教育学部の前身。
- ^ 校地交換により女子部は大村へ、男子部は長崎市桜馬場(現・長崎市立桜馬場中学校校地)へ移転した。
- ^ 第二国民学校は現・大村市立西大村小学校、第三国民学校は現・大村市立竹松小学校。
- ^ 駅通り、小佐古、大佐古、柴田が三城国民学校に編入される。
- ^ 読みは「おおたぶ」。現・東大村一丁目。
- ^ 1966年(昭和41年)に大村市立三浦中学校、大村市立鈴田中学校と統合され、大村市立玖島中学校となった。現在の大村市立大村中学校は1986年(昭和61年)に玖島中学校より新設分離したもの。
- ^ 読みは「みしま」。長崎空港が所在する島。