大村信行

大日本帝国陸軍の軍人

大村信行(おおむら のぶゆき、1865年1月17日元治元年12月20日〉 - 没年不明)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将従四位勲三等功四級

大村 信行
第14旅団長時代の大村信行
生誕 1865年1月17日
日本の旗 日本山口県吉敷郡小郡町
死没 没年不明
日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1889年 - 1919年
最終階級 陸軍中将
指揮 歩兵第37旅団長
歩兵第14旅団長
歩兵第69連隊長
第8師団参謀長
戦闘 日清戦争
日露戦争
勲章 勲三等瑞宝章
勲六等単光旭日章
功四級金鵄勲章
勲三等太極章
親族 酒井直次(次女夫)
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経歴

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1865年1月17日(元治元年12月20日)長州藩大村久兵衛の次男として生まれる。父久兵衛はかつて、奇兵隊と常備軍の小郡付近での戦闘において常備軍側に加わり戦闘に参加した。明治の初め頃には少年を集めて郷勇隊を編成し、武術の鍛錬などを行っていた。[1]

日清戦争に従軍[1]

日露戦争に従軍[1]

栄典

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  • 1895年(明治28年)11月7日、勲六等単光旭日章[23]
  • 1901年(明治34年)12月28日、勲五等瑞宝章[24]
  • 1906年(明治39年)9月8日、勲三等太極章佩用允許[25]
  • 1914年(大正3年)5月16日、勲三等瑞宝章[26]
  • 1919年(大正8年)2月14日、従四位[27]

家族

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  • 妻 ヤミ:国弘彦市の長女[1][28]
  • 長男 敏風:陸軍主計中佐、妻は吉武唯一の次女 冨美子、子は光風(長男)敏子(長女)信子(次女)[1][28]
  • 三男 正風[1][28]
  • 次女 貞子:夫は陸軍中将酒井直次[1][28]
  • 三女 武子:夫は藤田立二[1][28]
  • 四女 清子:柏木直甫[1][28]
  • 養子 たつこ:夫は甥の大村豊輔陸軍大佐[1][28]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 井関九郎『現代防長人物史 天』発展社、1918年、を28頁https://dl.ndl.go.jp/pid/956893 
  2. ^ 官報 1889年07月29日』大蔵省印刷局、1889年7月29日https://dl.ndl.go.jp/pid/2945071 
  3. ^ 官報 1893年03月21日』大蔵省印刷局、1893年3月21日https://dl.ndl.go.jp/pid/2946179 
  4. ^ 官報 1897年08月07日』大蔵省印刷局、1897年8月7日https://dl.ndl.go.jp/pid/2947517 
  5. ^ 官報 1897年08月06日』大蔵省印刷局、1897年8月6日https://dl.ndl.go.jp/pid/2947516 
  6. ^ 巨巌大石隆基『陸軍人事剖判 : 陸軍士官が将軍になるまで』尚武社出版部、1930年、68頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1452954 
  7. ^ 官報 1900年03月13日』大蔵省印刷局、1900年3月13日https://dl.ndl.go.jp/pid/2948299 
  8. ^ 官報 1902年02月03日』大蔵省印刷局、1902年2月3日https://dl.ndl.go.jp/pid/2948874 
  9. ^ 官報 1902年11月17日』大蔵省印刷局、1902年11月17日https://dl.ndl.go.jp/pid/2949115 
  10. ^ 官報 1903年05月15日』大蔵省印刷局、1903年5月15日https://dl.ndl.go.jp/pid/2949265 
  11. ^ 官報 1903年09月28日』大蔵省印刷局、1903年9月28日https://dl.ndl.go.jp/pid/2949381 
  12. ^ 官報 1905年07月19日』大蔵省印刷局、1905年7月19日https://dl.ndl.go.jp/pid/2949948 
  13. ^ a b c d e f 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍編』芙蓉書房、1981年9月、88頁。 
  14. ^ 官報 1908年12月22日』大蔵省印刷局、1908年12月12日https://dl.ndl.go.jp/pid/2950997 
  15. ^ 官報 1908年03月10日』大蔵省印刷局、1908年3月10日https://dl.ndl.go.jp/pid/2950755 
  16. ^ 官報 1913年03月05日』大蔵省印刷局、1913年3月5日https://dl.ndl.go.jp/pid/2952275 
  17. ^ 官報 1914年08月10日』大蔵省印刷局、1914年8月10日https://dl.ndl.go.jp/pid/2952711 
  18. ^ 官報 1916年04月04日』大蔵省印刷局、1916年4月4日https://dl.ndl.go.jp/pid/2953209 
  19. ^ 官報 1931年05月06日』大蔵省印刷局、1931年5月6日https://dl.ndl.go.jp/pid/2957770 
  20. ^ 大村益次郎先生伝記刊行会『大村益次郎 [本編]』肇書房、1944年、871-874頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1057964 
  21. ^ 總理庁官房監査課『公職追放に関する覺書該当者名簿』日比谷政経会、948、122頁https://dl.ndl.go.jp/pid/8322412 
  22. ^ 『官報 1952年04月01日』大蔵省印刷局、1952年4月1日、4頁。 
  23. ^ 官報 1895年11月07日』大蔵省印刷局、1895年11月7日https://dl.ndl.go.jp/pid/2946984 
  24. ^ 官報 1902年03月25日』大蔵省印刷局、1902年3月25日https://dl.ndl.go.jp/pid/2948916 
  25. ^ 官報 1906年09月13日』大蔵省印刷局、1906年9月13日https://dl.ndl.go.jp/pid/2950305 
  26. ^ 官報 1914年05月18日』大蔵省印刷局、1914年5月18日https://dl.ndl.go.jp/pid/2952639 
  27. ^ 官報 1919年02月17日』大蔵省印刷局、1919年2月17日https://dl.ndl.go.jp/pid/2954074 
  28. ^ a b c d e f g 人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年、オ159頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1704391