大平 賢作(おおだいら けんさく、1880年2月8日 - 1953年12月17日)は、日本銀行家住友銀行頭取・会長。

大平賢作

経歴

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新潟県南魚沼郡六日町(現南魚沼市)出身。明治37年(1904年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部銀行科卒業。同年農商務省海外実業練習生東亜同文書院商務課教授として上海へ。明治39年(1906年)辞任、帰国。同年住友銀行入行、外国係。大正4年(1915年)本店営業部副長、大正7年(1918年)ロンドン支店開設、支配人就任。大正12年(1923年)本店支配人、大正14年(1925年)株式会社住友銀行取締役、翌年常務取締役から代表取締役に就任。

昭和6年(1931年)昭和銀行、三州平和銀行各取締役、住友電線製造所監査役。昭和8年(1933年住友ビルディング取締役。昭和13年(1938年)住友銀行専務取締役。住友本社取締役、理事、住友倉庫取締役。昭和14年(1939年住友生命取締役。日本興業銀行参与理事。昭和15年(1940年)住友銀行専務取締役に就任、同時に銀行代表としての公職、住友本社理事ほか連携各社の役職を辞任。昭和16年(1941年)住友銀行取締役会長。昭和19年(1944年大阪住友海上火災保険取締役会長に就任。昭和20年(1945年)取締役会長を辞任。昭和22年(1947年)から昭和26年(1951年)まで公職追放指定を受ける。

娘はサントリーの社長・会長を歴任した佐治敬三の後妻。孫娘(佐治の娘)がチェリスト堤剛に嫁いでいる。

脚注

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先代
八代則彦
住友銀行専務
1938年 - 1940年
次代
岡橋林
先代
八代則彦
住友銀行会長
1941年 - 1945年
次代
野田哲造
先代
古田俊之助
大阪住友海上火災保険(旧住友海上火災保険)会長
1944年 - 1945年
次代
坂本茂