大崎町 (豊川市)
愛知県豊川市の町丁
大崎町 | |
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北緯34度50分41.06秒 東経137度22分24.4秒 / 北緯34.8447389度 東経137.373444度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊川市 |
面積 | |
• 合計 | 1.0210241 km2 |
人口 (2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 3,290人 |
• 密度 | 3,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
442-0007[WEB 3] |
市外局番 | 0533[WEB 4] |
ナンバープレート | 豊橋[WEB 5] |
地理
編集交通
編集施設
編集- 東海典礼金清寺会館
- 大崎霊苑
- スギ薬局豊川センター
- 中部電力パワーグリッド豊川変電所
- 大崎公園(近隣公園)
歴史
編集地名の由来
編集沿革
編集- 江戸時代 - 三河国宝飯郡大崎村として所在[1]。千両村から分離した[1]。当初は幕府領[1]。
- 慶長11年 - 新城藩領[1]。
- 正保2年 - 幕府領[1]。
- 慶安元年 - 幕府および旗本菅沼氏の相給[1]。
- 延宝9年 - 鳥羽藩および旗本菅沼氏の相給[1]。
- 享保10年 - 幕府および旗本菅沼氏の相給[1]。
- 享保20年 - 幕府および旗本菅沼氏に加え、旗本松平氏、大岡氏の3給となる[1]。
- 1889年(明治22年) - 豊川村大字大崎となる[1]。
- 1893年(明治26年) - 豊川町大字大崎となる[1]。
- 1943年(昭和18年) - 豊川市大字大崎となる[1]。
- 1944年(昭和19年) - 豊川市大崎町となる[1]。
- 1973年(昭和48年) - 一部が穂ノ原に編入される[1]。
- 1974年(昭和49年) - 一部が南千両に編入される[1]。
人口の変遷
編集国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 783世帯 2415人 |
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2000年(平成12年)[WEB 7] | 908世帯 2641人 |
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2005年(平成17年)[WEB 8] | 1098世帯 2991人 |
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2010年(平成22年)[WEB 9] | 1227世帯 3147人 |
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2015年(平成27年)[WEB 10] | 1262世帯 3129人 |
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2020年(令和2年)[WEB 2] | 1460世帯 3290人 |
脚注
編集WEB
編集- ^ “愛知県豊川市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年5月1日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
編集関連項目
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『愛知県』 23巻、角川書店〈角川日本地名大辞典〉、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、大崎町 (豊川市)に関するカテゴリがあります。