大島光親
大島 光親(おおしま みつちか、天正8年(1580年) - 寛永6年(1628年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 天正8年(1580年) |
死没 | 寛永6年6月6日 (旧暦)(1628年7月7日) |
改名 | 光長→光親 |
別名 | 弥三郎 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 豊臣秀吉、徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 大島氏 |
父母 | 大島光成 |
兄弟 | 光親、光俊、光勝 |
妻 | 大島光政の娘 |
子 | 大沢基将室、光好、佐藤成次室、土屋知貞室、義豊 |
略歴
編集大島光成の長男として生まれる。父と共に豊臣秀吉に仕え、のちに徳川家康に仕える。慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)の大坂の陣に参陣し一族と共に枚方を防衛する。寛永6年6月6日死去。享年48。
長男の光好は早世していたので、次男の義豊が家督を継いだ。
系譜
編集父母
- 大島光成 (父)
正室
- 大島光政の娘
子女
- 大島光好 (長男) - 早世
- 大島義豊 (次男)
参考文献
編集- 『寛政重脩諸家譜』第1輯,國民圖書,1922. 国立国会図書館デジタルコレクション 211コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082717/1/211 (参照 2024-02-27)