大國主神社 (紀の川市)
和歌山県紀の川市国主にある神社
大國主神社(おおくにぬしじんじゃ)は、和歌山県紀の川市国主にある神社。「おくにっさん」と呼ばれる。
大國主神社 | |
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所在地 | 和歌山県紀の川市貴志川町国主1 |
位置 | 北緯34度12分14.3秒 東経135度18分39.2秒 / 北緯34.203972度 東経135.310889度座標: 北緯34度12分14.3秒 東経135度18分39.2秒 / 北緯34.203972度 東経135.310889度 |
主祭神 | 大國主命、天照皇大神、少名毘古那命、権大神 |
創建 | 弘仁9年(818年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 4月3日、10月3日 |
主な神事 | 大飯盛物祭 |
歴史
編集『紀伊続風土記』によれば、陽向山の麓であるこの地は八十神等の危難から逃れて五十猛命のもとへ赴こうとした大国主命が立ち寄った場所だという。そういったいわれのある当地に弘仁9年(818年)、神のお告げが下った嵯峨天皇により、当社は建立された。その後、嵯峨天皇は当社に行幸し、境内に白槇をお手植えになったとされている。
天長3年(826年)の夏に大旱魃があった際、淳和天皇は当社に勅使を派遣して祭を行わせたところ、豪雨が降ってきた。それ以来、一層当社への崇敬が深くなった天皇は、社領300石を当社に賜ったという。
建久6年(1195年)、源頼朝によって社殿が再建されている。鎌倉時代には現在も残っている奇祭・大飯盛物(おおめしもりもの)祭が始められている。
戦国時代に兵火にかかり社殿が全焼したが、その後、再興された。
当社の北側にはかつて別当寺・薬師寺があったが、明治時代に廃絶し今は墓地と薬師寺板碑群・8基(紀の川市指定有形文化財)、そして小さな御堂が残るのみである。御堂には木造梵天立像(紀の川市指定有形文化財)が祀られている。
祭神
編集境内
編集文化財
編集紀の川市指定有形文化財
編集- 神楽殿
紀の川市指定無形民俗文化財
編集祭事
編集- 例祭 - 4月3日、10月3日
- 大飯盛物祭
交通アクセス
編集参考文献
編集- 大國主神社由緒