大北 作次郎(作治郎[注釈 1]、おおきた さくじろう、1843年12月17日天保14年10月26日[1]) - 1901年明治34年)1月26日[2][3])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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大和国吉野郡(のち奈良県吉野郡大淀村、現・大淀町)生まれ[2]戸長、徴兵事務官、吉野郡書記、大阪府会議員奈良県会議員、徴兵参事員となる[2]。また、吉野郡尋常中学校を創立し[2][3]伊勢街道や壺阪街道の改修に力を尽くした[2]

1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において奈良2区から大手倶楽部所属で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1901年に死去した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』92頁、『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』124頁。

出典

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「大北作次郎」の解説
  2. ^ a b c d e 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、92頁。NDLJP:1278238 
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』124頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。

参考文献

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  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。